ビスタリ・山塾通信

ビスタリクラブ、無名山塾大阪では、年2回クラブの会報を発行しています。山行記録や技術講習、
山の本コーナーなど、いろいろの項目があります。ここでは、メインの個人の山行文を紹介します。


マツターホルン登攀 野村珠生

夜明け前に小屋の外に出る。辺りはまだ漆黒の闇だ。無言でガイド(国際山岳ガイド角谷道弘氏)とザイルを結び合う。このザイルは再びここに戻ってくるまでどんな事が起ころうとも解くことはない。信頼を繋ぐ命綱だ。

岩壁を見上げてもヘッドランプの届く範囲は狭く巨大な岩の塊が覆い被さってくる。頂上は見えないが、遥か上方に星が瞬いており昨日のように降雪の心配はない。頂上に立てるか否かは天候と体力と言うが、天候が回復せず登攀を断念した一昨年夏の二の舞は避けられそうだ。ヘルンリ稜は標高差1200m、登攀距離2000m。平均斜度45度だが岩に取付くと殆ど垂直に感じられ、頂上まで連続したロングピッチの登攀になる。

『五十五歳でマツターホルン、六〇歳で六千m峰』と言い始めたのは一体いつからだろうか?感慨にふける間もなく『出発!』とガイドの声。手袋を通し伝わってくる岩肌の冷たさに奮い立たされる。『絶対に頂上に立つぞ!』と自分に言い聞かせた。

天候待ちしていた約30パーティが一斉に頂上を狙う。どこからでも登れる山だが、それは容易にルートを外してしまえる事でもあり、ルートファインディングをひとつ誤ると極端にグレードの高い壁が待ち受けている。安全なルートには登山者が集中するため、落石も多く速く抜けないと危ない。マッターホルン登山の鉄則が『スピード=安全』と言われている所以だ。

真っ暗な中トップを登っていくガイドの姿はすぐにヘッドランプの外に出る。少しでも躊躇しているとザイルがグイグイ引っ張られ早く登れと促される。4003mのソルベイヒュッテまで休みなしに攀じ登り2時間半で着いた。体力気力充分、スピードもあると自負していたがこんなに速いクライミングは経験したことがない。小屋では休憩するのかと思ったが水を飲むだけですぐに出発した。

とにかく速い、息が切れる。突然頭上で轟音がした。大きな岩が二、三度跳ねると下の岩にぶつかり粉々に砕けて東壁側に落ちていく。ぞっとしていたら今度は私の胸元にドスンと拳大の岩が落ちてきた。顔で受けていたら血だらけになっていただろう。

小屋を回り上部モズレイスラブを超えると、麓からも良く見える肩の雪田に出る。これから先は東壁と北壁にスパッと切れ落ちたナイフリッジを登る。北壁の陰惨な大絶壁は圧倒的な迫力で眼前に聳立している。ツルムを左に巻いた辺りでアイゼンを着けるが「装着一分三十秒」との指示。スピード優先ながら厳しい。狭く急峻なリッジに跨るような姿勢でアイゼンを着ける。足下は遮るものがなく麓まで一気に1200m落ち込んでいて、ここで滑落すれば一巻の終わり。アンザイレンしているので恐怖は感じないが、この高度感は日本では味わえない。冷たさで指先の感覚が麻痺してくるが、手を岩に叩き付けながら登る。東壁急傾斜三角岩壁では5はある太いフィックスロープを利用する。腕力に頼って登ったため腕がバンプアップし、頂上直下の垂壁ではロープが握れず宙吊の状態でザイルにぶら下がってしまった。降りてやり直そうとするが『早く登って来い』とガイドはザイルを緩めない。必死に登ったが腕はパンパンに腫れ上がった。最後は北壁側を頂上に向かう。頂上岩壁の傾斜は少し緩くなるが、股の下に見えるのは岩では無く空だ。絶対にスリップできない。雪と氷と岩のミックス帯は歩きにくく慎重に登る。頂上直下にあるマリア像が見えた時は既に体力の限界。空気も薄く、息がハーハーからヒーヒーに変わった頃スイス側頂上4478mに飛び出た。頭の上には空しかない。イタリア側頂上にはボナッティが抱きついた十字架が見える。遥か下にツェルマットの街も小さく見える。ガイドと握手し写真を三枚撮るとすぐに下りる。頂上の細長い稜線にはゆっくり休む場所がない。二人がかろうじて座れる処まで下りて休憩した。

 頂上まで五時間、考えてみれば初めての休憩だった。疲れすぎてチョコレートもパサパサで喉を通らない。十分ほどの休憩で下山にかかる。下りは斜度が強く感じられ、ツェルマットの街に飛び込みそうだ。マツターホルンの事故の殆どが下山時におきており、核心部は懸垂下降(アップザイレン)を繰り返しながら慎重に下降する。ヘルンリヒュッテには出発してから丁度十時間で戻ってきた。水以外は殆ど口にせず良く頑張れたものだ。墜落の危険がない安全な地面に下り立ちほっとしたら、急に実感が湧いてきて涙が溢れて止まらない。

人は山を征服するという。登山家故小西政継氏は著書の中で『山は決して征服するものではなく尊敬と敬意を払うものだ』と述べている。マツターホルンを登って、はじめてその思いを理解することが出来たように思う。

目標を達成した時、次の目標がなければ心に空洞が出来たような感じがする。マツターホルンサミッターとなった今、次の目標は六〇〇〇m峰?七〇〇〇m峰?八〇〇〇m峰?

 (2006年7月30日9時30分登頂)


2007年 マッターホルン登頂の感想

 2年前にも友達二人と行ったが寒い夏で小屋までも近づけずマッターホルンを見上げてため息をついた。モンテローザはしんどかったが登ることができてうれしかったが、やっぱりマッターホルンに登ってみたい気持ちが抑えられなかった。

 今年の夏も雪が多くて私が行った7月末、ようやく雪が減ってきた所のようだった。

8月3日午後アパートを出発してヘルンリ小屋へ。明日から天候が安定すると言うことである。小屋は人が少なかった。昨日降った雪でみんな登ってこないようだ。1時間ほどトレーニングする。ヘリコプターがソルベイ小屋から3人を救助して降りてきた。それを見ると緊張した。「ヘリコプターにはモンブランでのトラウマがあってこわく感じる」

8月4日朝3時半起床、4時20分小屋を出発した。ヘッドランプの明かりで取り付き地点からゆっくり登りだす。月が静かに輝いている。明るい。静かだ。上のほうに明かりがチラッと見える。ヘッドランプを岩にぶつけた。電池が転がって落ちた。角谷さんに手伝ってもらって電池を入れなおす。その後も何度かヘルメットを岩にぶつけた。どの岩も動く。一度は持った岩と一緒に後ろへ落ちかけた。高度が少しずつ上がって呼吸が苦しくなる。スピードが上がらない。雪が多いのでかなり早くアイゼン装着の指示が出た。一歩一歩時間がかかっている。急なモズレイスラブを越えようやくソルベイ小屋について休憩した。空は真っ青で雲ひとつない。くちばしのようにとがった山頂に向かって登りだす。登頂したグループが下りてきてすれちがう。ロープが下がっている所はロープがとても太くて握りにくく滑ってしまいすぐ手の力が弱りそうでつい岩をもって登ると「ロープであがれ」と角谷さんに何度も注意された。「時間がかかりすぎているどうするか」と聞かれた。一瞬考えるが「登ります」と答えた。「よし、じゃあつれてってやる。しっかり登れ」といわれた。「登りたいという気持ち」を確認されたと思った。角谷さんから「下りる」と言われない限り自分から下りる気持ちは1度も持たなかった。雪が多いのでこまめにピッケルを出し入れして雪稜を登らなければならない。もたもたしていると「ちゃんとピッケルを使え」としかられた。北壁側に少し出ると「風が強くなっている。これ以上強くなったら下りる」とも言われた。ハングしている岩は、思ったより早く乗り越えることが出来た。ようやく上方に真っ黒いマリア様の像が見えてきた。山頂には1パーティーがいて「コングラッチュレーション」と言ってくれた。11時22分山頂に立った。7時間かかった。マッターホルン独り占め状態で誰もいない山頂。やっと登れた。うれしかった。真っ青な空、周りの景色が素晴らしい。写真を撮ってもらい少し休憩して下山にかかる。

「これからが気を引き締めて、登りより時間がかかるから」と言われる。登りでは感じなかった高度感や傾斜が感じられ時間がかかるがアイゼンを引っ掛けないように、滑らないように一歩一歩下りる。下に小屋が見えてからも疲れから岩の上でアイゼンが滑るのが恐くてお尻を付いて慎重に下りる事が増え時間がかかった。午後8時ようやくヘルンリ小屋に着いた。16時間かかった。小屋は大勢の人でいっぱいだった。みんな明日登るようだ。

荷物を作り、ツエルマットのアパートまでロープウエイが止まっているので(午後4時で終了)歩いて下りることになる。午後8時半頃に小屋を出発しハイキング道を下山。午後10時には日没になりヘッドランプをつけて歩く。荷物は重いし、お腹はへるしのどは渇くし、外反母趾が痛くて辛かった。お昼なら素敵なハイキングコースだと思うが、疲れ果てたナイトハイキングは辛かった。ようやく翌日の午前1時にアパートにたどりついた。朝から21時間歩いたことになる。ベッドにバタンと倒れこむようにして寝てしまった。  こんなゆっくりペースで長時間かけて登らせていただいた角谷さんに感謝しています。登ったのも5パーティーだけだったことや何より天候に恵まれたと思います。3日後にはまた雪が降ったようで本当にラッキーでした。                     東 明美


「夢が実現したモンブラン登頂」 2004・夏       砂川厚子
(ミディ〜タキュル〜モンモディ〜モンブラン頂上〜グーテ小屋〜二・デーグル)
 

 4810mのモンブランへ登ってきました。頂上は真っ白な雪と真っ青な空だけで何にもありません。「ヤッター」 用意していた日の丸の旗をピッケルに巻き付け記念撮影。夢は叶いました。それもモンブラン3山縦走の難関ルートだったのです。
 我ながらアッパレ。両足を天井に奉げ、よくぞ雪をしっかり踏みしめてくれたと感涙です。あの疲労と高度障害はどこへいったのか…。4年間の夢を実現に導いてくださった角谷さんありがとう。
 8月1日: コスミック山稜で高度順応、雪と岩のリハーサル
 8月2日: ミディの南下にあるコスミック小屋。午後3時前に着き明日の天気を心配しながら過ごす。山の天気ってホントに午後は雲が多い。午後6時ころになると、小屋は混雑してきた。食事はパン、スープ、チーズ、牛肉ときゅうりの煮込み他何かわからない、ストロベリーヨーグルトそして焼き菓子と順番に出てくる。1時間30分ほどのゆっくりペースで山小屋の夕食。同席のマルセイユの老夫婦、イタリアの若い女性とそのガイド、私のガイド角谷さんと私の6人で、フランス語、英語やイタリア語が行き交う。9時就寝。2段ベッドの上段、落ちないかと心配で毛布をマットに敷き込んだ。目が覚めたとき外を見ると、ライトが山の方向へ向かっているのがみえた。星が出て天気は良さそう。
 8月3日: 深夜1時の朝食(パンとココア)。そして装備を整えるのに一瞬緊張が漲る。1時50分歩き始める。星は輝き、10日月で明るい。先を行く人のライトが行く手を案内しているようだ。初めに巾の広い斜面をジグザグにまた大きく蛇行しながら登りきるとキレットかクレヴァスかにぶつかる。右へ行くとロープが下っていた。早い判断で折り返し、元に戻ったかと思うや 「ここでじっとしていて、動いたらアカン」 と言い残すと切れ落ちたナイフリッジ化した氷河の上をすたすたと、ロープを伸ばしながら行ってしまった。どのくらい待っただろうか。「スナガワサーン ノボッテキテーエ…」という声に返事はしたものの、月とライトの薄くらい中を・・・‘うう…ン行けるかな?‘・・・ と思ったのも一瞬で何があっても進まねばならぬ。慎重に、慎重に…アイゼンを引っ掛けないように、水平のナイフリッジを歩いた。右側は切れている。切れた斜面を正面に向き、隙間を超えると登れるのだ。ピッケルを打ち込むと一歩でそれは超えられホッとしたものの急登斜面で気が抜けない。「サッサとオイデーぇ」といわれたような気がしたが(そうはいかんピッケルが甘い…氷河の上に雪が化粧しているだけ)確実に、慎重にと唱えた。振り替えるとここが最も恐怖の場所だった。あとは黙々と雪の斜面をトラバースする。モンブラン・タキュールを超えると、次ぎは50度という直登斜面、モン・モディの北側を登る。気合で一歩一歩をリズムよく登ったので何時の間にか超えていた。90分くらいかかったかな。モン・モディから少しでコル・デ・ラ・ブレンヴァ(雪の平原4303m)。ここで朝日の光を受けると共に、始めてお湯とお菓子を口にした。そして羽毛服を脱いだ。初めから暑かったが脱ぐ機会は無かった。
 さあ、これからモンブランを目指す真っ白な氷河を。ジグザグに登り始めたころから緊張と気合が落ちてきたのか、疲れか、高度障害か足が挙がりにくくなるのと右足裏が擦れる。眠くはないが呼気を意識してリズムを付けた。頂上がそこに見えるのが毒だ。そこだというのに歩けない。気力だけは失わないようにと命令するのに立ち止まり始めた。何回かそうこうしている内に、角谷さんが手早くリュックからチョコレートとお湯を出し、私に与えた。喉にチョコが引っ掛かりなんとかお湯で溶かした。またすぐ歩き始めた。「足が軽くなっただろう」と聞かれ、事実、足は高く挙がった。その効き目もつかの間のこと。何回か立ち止まるが数秒のような気がする。後50mと知らされるも頂上に辿り着くまでは、気を緩めると一歩が出なくなるのでは思い、一段と顔は引き攣った。
 とうとう頂上(4810m)にきてしまった。9時30分だった。 真っ青な空と真っ白な頂き、冷たいが暖かく、風のない穏やかなてっぺんでした。「のぼったー・・」と疲れて声にはならなかったのですが、角谷さんより硬い握手を頂いて、「よかった」と感謝の念でいっぱいに。シャモニーに入ってから作成した日の丸の旗をだし、ピッケルに巻き付けて写真撮影。視界を南に転がすとイタリアの美しい山稜が下に見える。頂上に数人の登頂者がいたのがいつの間にかいなくなっていた。長居は無用、指示のままに別れを告げる。
 下りはグーテ小屋を目指す。グーテ方面からの厳しい雪稜を登って来るクライマーを交わしながら下る。皆な必死の思いで頂上めざしていた。「もうすぐ頑張って」と心の中で唱えた。避難小屋のバロ小屋に着く。2回目のお茶にするが水ものばかりしか取れず、しかも差し出されるものは貪るように無心で飲んだ。もう理性など無かったように思う。下る下りなのに少しのぼり坂に差し掛かると嫌気がさした。「エエーッ?あれ登るの?」と登りが見えてくると、なだらかで大したスロープではないのに恐かった。そのうちに睡魔が襲い始め、眠りながら歩いた。眠ってない一部の脳でリズム的な呼吸を命令し、ロープが引っ張られないようにした。無理を言いながら、鞭を打ちながら歩き続けるとグーテ小屋が見えてきた。 見えるとまた毒です。遠い遠い雪のお山を超えなければ辿り着かないのです。下りも足は止まり始めた。限界か?と過ぎったがまだまだ…一休憩とって小屋に着いた(3817m)。ここで初めてトイレ。そして腹ごしらえをと思ったとたん吐き気そして嘔吐と完全な高度障害をあじあう。吐いたのは水分のみだった。すっきりした。
 縦走ルートを詳しく予習しておかなかったので、「ここから下りる」と聞き、一瞬驚く。小屋からいきなり切れ落ちた岩の斜面を下るのである。これは得意な所、断然心中はうきうきしてきた。元気を取り戻し、岩を左に持ち替え、右に持ち替えくるくる降りて行った。先に行く人、下から登ってくる人に落石は絶対禁物です、気を配った。昨年の北鎌尾根を思い出させた。ゴリゴリと岩の擦れる音に、神経は研ぎ澄まされたのを。しかし、このコースは面白く、楽しいものでした。岩を支える手のひらが上から、下から、指も巧みに体を動かしてくれた。グーテ小屋までは足で雪を踏むばかりだったので、とっても新鮮でした。
 急斜面を目が舞うほどに、何分何時間下りたかわかりません。ロープは外されたがまだ岩の連続です。昨年、落石で8名が犠牲になったという砂利の斜面をトラバース。ザラザラ…ザァ…ゴロゴロの音が無いことを見計らって、走って…走って…「モットハシレー・・」。 気の毒に先に超えた男性のリュックからストックが外れ、砂と共に滑り落ちていった。
 その次に見えたのが氷河のトラバース。この辺りに着いた頃にはヨレヨレの身、雪に何度となく転倒させられた。一歩一歩が下山を近づけ、超えて大休憩をとった。 「オリター・・」 と感無量。あのクレヴァスで氷河に打ち込み、私たちを固定したスクリュウで、りんごの芯をとり手で割って食べた。ほろ酸っぱく甘く、身に心地よく滲みた。
 あと一息と思いきや、まだまだ右や左と埃っぽい、ゴロゴロのガレ場が待っています。登山電車の終着ニ・デーグル駅まで、私にはホントに遠い距離でした。グーテ小屋から駅までに、しばしばオンオンと吐いた。
 野の花に癒され、今日初めて一枚の写真を撮った。駅に着いた。登山電車に乗る人が群がっていっぱいでした。地べたにリュックを降し、腰を下ろした。
 登山を始めて2年後、角谷さんと出会ったのがモンブラン登頂の夢のスタートでした。体力、脚力を鍛えて挑戦しようと思うや毎週という程、雪山や岩を果敢にアタック。遠出以外は10Lのリュックを背負い近郊の山へトレーニング。今日は体調悪いなと思って登っていてもそうではなく、良いと思って登っていてもタイムがでない(いつも同じコースで時間を計っている)。これは何なんだろうと疑問を持ち、模索しながら毎回を楽しみながら駆け抜けました。徐々に歯応えを感じるようになってきたのです。
 2000年の夏、友人とともに初めてヨーロッパアルプスを経験しました。角谷さんはその少し前にシャモニーの登山学校 「ENSA」 でフランスの山をガイドするには認定が必要とのことで訓練を受けたばかりでした。まだ認定は下りていなかったので、モンブラン行きは断念。冷夏のスイスを何とかブライトホルンとメンヒに登頂できたのでした。それから4年。定年の退職記念にとモンブランかマッターホルンか気持ちは高揚します。
 モンブランはメンヒに登った時の周囲の山々とは違った明るさがありました。メンヒからの周りの景色は白と黒の折り重なったゴツゴツとした縞模様が瞼に焼き付きました。モンブランは南下にイタリアの真っ白な山稜、西はグーテに続く凛々しいリッジ(ボス山稜)、静かにどっかりと居座って包んでくれているような印象を持ちました。
 シャモニーから望めるモンブラン山群を左から右へ歩いたことになります。疲労と高度障害に悩ませながらも、大縦走を果たしたことによくやったねえ、この歳で。
 私にとって「モンブラン登頂」というとてつもない夢を成就できたのは、名ガイド角谷さんの日頃のトレーニング指導と、どんなに喚いても冷静に根気よく導いてくださったことにほかありません。そして申し分のない天候に恵まれたことと共に、感謝の気持ちは溢れるばかりです。ありがとうございました。   登頂1ヶ月目の9月2日


マッターホルン登頂 今西美沙子

8/26 朝4:25起床。慌ただしく朝食を済ませ(仕度はほとんど角谷さんにして頂きました。恐縮)外に出るともうすでにライトの行列でした。5時すぎ取り付き点。まず取り付きで私はすぐ失格。角谷さんが登り、おいでーの言葉のあと、固定ロープをつかんで左斜め上に登るのだが足が届かない。左に振られてぶら下がりの状態で悲惨。1、2度登ろうと試みましたが、たまりかねて次に順番待ちしていた方々が押し上げて下さった。あとは、必死で角谷さんのあとをついていく。ただひたすらに指示されるままに登る。しんどい、少ししか登っていないのにこのしんどさ。一昨日夢の中にあらわれた亡くなった先輩に守って下さいと心の中で叫ぶ、他にも亡くなった先輩の顔を次々と思い浮かべ見守ってて登頂できるようにして!若かりし頃のわがまま娘そのままに無理をいう。風は北側から吹き上げかなり寒いが気にしている場合ではない。「あ、あかん雪や」と角谷さんの声。ちらちら降ってきたが空は明るくすぐに止む。

 ソルベイ小屋は横目で見て通り過ぎたがしっかりした小さな小屋で中は真ん中にテーブルと窓際に長椅子かベッドのような物が見えました。そこからさらに困難な登りが続き、角谷さんの叱咤のままに、ただただ足を動かしているだけ。またまた固定ロープがあり、その時、角谷さん、先にいた男性(もちろん日本人ではない)のことを「このお兄さん2、3回落ちているから気をつけるように」と言って登っていった。聞こえるよ、でも日本語わかるかな と思っていると「登っておいでー」の声。固定ロープに掴まったものの上から降りてくる人、下から登っていく人、それぞれが1本の固定ロープを遠慮なく利用するのでロープは左右にうごき、体が振られ、登れない。なんとか状況を打開しなければ、、、、、、と思い「もー!嫌!」と大きな声が叫んでしまう。そうすると、まわりの皆がぴたりと静止状態になり、かの男性が私のお尻を1度、2度と押し上げてくれた。そうするとなんと目の前にアブミがある。夢中で掴まり、ずるずると上に上がる。その後は雪稜を歩き、やっと頂上にたどり着く。「やったー頂上だ!」下山する女性とすれ違い、思わず握手してしまう。イタリア側の頂上には十字架が立っていて数人が休憩している。お天気がよく、風もおさまって、遠くにモンブラン、近くには、ポリュックス、リムピフィッシュホルンなど360度の眺望が楽しめた。が、早々に下山する。頂上直下で、お尻を押してくれたお兄さんとすれ違う(ありがとう)下山は登るときより困難な感じで、当たり前だか、どこもかしこも岩だらけでリートが解らない。角谷さんの、上からの声で、右に、左に、まっすぐ下にとずるずるとなんとか降りていく。ロワーダウンとズルズル下りで、取り付きに帰り着いたのは、午後3時過ぎ。とにかくお天気がよく、助かりました。ヘルンリヒュッテに戻り、少し休憩してシュバルツゼーの最終ロープウエイに間に合うように下山を急ぐ。登攀中、水を少ししか飲まなかったため大部分の水があまり、ヒュッテで捨てなかったことを後悔しながらザックを背中から降ろして捨てるのも面倒で背負ったままシュバルツゼーに下山する。アパートでは、宮崎さんがソーメンを作って待ちかねていてくれて、美味しく頂く。そして高級日本料理屋、妙高へ出かけ、3人で祝杯をあげる。日本に電話し、スイス行きを相談し背中を押してくれたた先輩に、登頂報告をすると、大変喜んでくれた。


  あぁ〜 あこがれぇ〜のキタ〜ァカマ〜ァ!!        太田 一
 
 さて今回の個人山行プランは あの あの アノ〜ッ 北鎌尾根なのだ。

”風雪のビバーグ”の松濤 明だ!! ”単独行”の加藤文太郎だ!!

もっとも彼らが活躍?したのは冬季であって、勿論 僕らは夏の終わり、秋の始まりのこの時期でないと、とても太刀打ち出来る相手ではありません。メンバーは小赤壁で指先から血を流してクライミングしたというファイト溢れる砂川さん、豊富な登山経験をお持ちの黒田さん、そしてこの俺に角谷さんの4名だ。

9月12日
 台風14号の接近で天候が心配される中、前夜に夜行急行「ちくま」乗車、松本で新宿からのムーンライト信州81号に乗り換えて、まだ薄暗い穂高駅へと到着。 この9月いっぱいで「ちくま」号が廃止になるという話を聞く。「ゲェ 交通アクセスの主役やで ちくまは!!」「どないしょ これから山 行かれへんやんか!!」最初からショッキングなニュースを一発カマされる。中房登山口へはタクシー移動、車中にてお互いに今年の夏山山行の話をを交換する。ラジオから天気予報が流れてきた。黒田さん「今年天気悪かったですけど登山者の数はどうでした?」タクシーの運ちゃん「少なかったですわ 商売上がったりですわ! でももう大丈夫、台風に北朝鮮に行けと言いましたから」本当に心の底からそう願っているのは僕らの方や!運ちゃん少し黙っとけと心の中で呟く。軽い朝食を取り出発、今日の行程は合戦尾根を登って大天井ヒュッテまで、何も問題のないコースなのでチョ〜ゆっくりペースで登っていく。台風が日本海におるのに暑い暑い。合戦小屋でお決まりのスイカを食べ、燕山荘で昼食 そう今日の行動は燕山荘の食堂の開き時間に会わせた鈍行行動でした。でも・・・・・・・・・
 黒田さん「明日は今日よりペースは早いんでしょ?」角谷さん「そらそうやな もうちょっとばかり早いで」 そのもうちょっとというのがクセモノなんや 明日の北鎌、どうなる事やら!それにしても平日のアルプス銀座の静かな事、静かな事、早く定年になれへんかな。いやその時には体力弱ってますね。あぁ〜あ 貧乏人はつらいの〜〜〜と思いながら歩いていく。突然 前を歩いている砂川さんが鼻歌を歌い出す。なんでも眠くなると、眠気さましに鼻歌うたうとの事。さすがわ年の功、いや山のベテラン。エェ事聞いた。俺も次から真似したろと思う。3時前に大天井ヒュッテ到着。がら空きの小屋でゆっくり休んで明日に備えて早めに就寝した。

9月13日
 時計を見れば3時になっていた。大きくて強い風の音が聞こえる。出発の準備をしようとしていると、角谷さんが近づいてきて「今日はやめときます」 「ハイ、わかりました」台風14号のヤツめ、北朝鮮から中国東北部に向かわず北海道に再上陸やて。アホンダラ 中止と決まれば起きていてもしかたがない。もう一度布団をかぶりおやすみなさい。 6時頃再び起き出して部屋の窓から外を覗く。 オレ「うぁ アラレが降ってるやん」 角谷さん「違う 強風で小石が吹き上がって舞ってるんや」 オレ「げげぇ・・・・・ そら今日は北鎌登られへんわな〜ぁ 中止で当たり前や」 てなわけで本日、大天井ヒュッテにて停滞、オレは今年の盆休みの個人山行で大キレットに向かうために南岳小屋にて停滞の経験済み。暇の潰し方、知ってます。ひたすら小屋の中で明日に備えて休憩につぐ、休憩。・・・・・・・・・・・・・でも、やっぱり暇や〜〜〜〜〜〜〜!!!! 退屈じゃ〜〜〜〜ぁ!!!!

9月14日
 3時前に目が覚めると前夜からの雨が降り続いている。
「角谷さん、出発しませんの?」「ちょっと様子見ます」・・・・・・・・・・・・・・
「ぎょわ〜〜〜〜〜! あかん あかん こら〜今日は北鎌じゃなく東鎌になっちゃう」そう言えば去年も北穂高小屋で雨に降られて、しかたなく下山したっけ!!3年前の立山では昨日と同じ様な強風で雄山にしか登られへんかった。何しろあん時には天狗平でヘリコプターが墜落していたほどやった。そして今回もまたあかんのかいな!!天は我々を見放したか!! 昨日の夕食時、小屋のオニイチャンから明日は天気は良くなると言ってたやんか!待機中の布団の中でキョ〜〜〜レツなマイナス思考に落ち込んでいく。すると突然、角谷さんから「ヨッシャ、出発しましょか?」と声が掛かる。待ってましたシメシメにんまりしながら急いで身支度、まだ小雨の降る中、4時出発となりました。
 ヘッデンの明かりを頼りに貧乏沢を下っていく、最初はひどい藪漕ぎとなり、砂川さんがコケはった。「ここから先は滑ったら一巻の終わりになるコース、各自もっと集中するように」との声がかかる。でもね・あのね・暗くてザレていて本当に神経つかう所なのよねコレが、しか〜〜し 本当の意味でのザレ地獄はこの後に我々を待ち受けているとはこの時には思いもしなかった。「あかん、危ない、危ない そこはあかん」前から角谷さんの声が飛んできた。濡れた一枚スラブ岩にて砂川さんがまたコケはった「さっき集中しろ!と言ったやろ、今度コケたら引き返すよ!!」普段の角谷さんとは思えないきついオコトバだ。転けないようにメンバー各自さらに集中して下っていくと言いたい所なんですが・・・でもね・あのね・本当の事を言うと、これからもこの下りでコケているんですよねコレが・・今度は俺や黒田さんが、「アホ 貴方達の実力ではとても北鎌は登れない、さっき言った通りに引き返します」との無情のオコトバもなく、角谷さんは黙々と下っていく。早い話、角谷さんはやさしい人なんですよ それとも単に気が付かなかったのかな?恐ろしくてそんな事聞けませんでした。やっとの事にて天上沢に合流し、少し遡上して北鎌沢合流点にて朝食、ここで水を補給しようと思っていたのだが、なんと沢水が濁っているではないかいな!! 角谷さんの指示で少し上流の二俣で水を補給、やはり沢水は濁っている。こんなん飲んで大丈夫か、少し不安だがしかたがない。まぁ以前会社の仕出し弁当の柳川風カツ丼によるラジオネラ菌食中毒事件の時、同僚達は熱を出して寝込んでいた時、俺は雨の中を六甲山を登っていたほどやからたぶん大丈夫やろと判断した でもこれ以降、この沢水を飲むときには目をつぶって、内心エイヤと掛け声かけて飲まけらばならなかった(おかげさんで予想した通りに水当たりはなりませんでした)
 教訓:水の補給は安全確実な所で最大限の補給を行うべし!!先の水場を当てにしたらあきません!!北鎌沢右俣は水が流れていれば完璧に沢登り、3点確保で詰めていく。途中フィクスロープがかかっている所では、3人ともロープのお世話になり角谷さんから「単に岩に掛けてあるだけやのに簡単にフィクスロープを信用するな」とお小言をくらう。分かっちゃいるけど実際は楽したい。なかなか教科書通りにはいきません。上部の二俣を同じく右に詰めて北鎌のコル9時頃到着、小休止後、いよいよ北鎌尾根の登りになる。天狗の腰掛けの登りにて右膝が痛み出した。こんな事、山登りをしていて始めてだった。
 「角谷さん、右膝痛いんです」「サイズは?」「Mサイズです」 角谷さんがザックをおろしておNEWの右膝を出してくれた。「最新形のヤツやで」「おおきに ぴったりや これで安心して歩けます」 そんな事 できるわけがないやんか!北鎌尾根は泣こうが、叫こうがエスケープルートのない所、ここまで来たら前に進むしかあらへん。幸い痛みは軽く我慢できる程度であったのが助かった。天狗の腰掛けまで登ると目の前に大きな独標が我々の前進を阻むようにそびえていた。以外と登山者が多い。やっぱり人気のルートなんやと感じる。ここから本格的な北鎌尾根ルートとなる。すなわち落石の起こりやすいガレ場、顔が引きつる地獄のザレ場のオンパレード。道が有って、無いようなもの。自分の信じるルートを取る所。的確なルート・ファインティングの必要な所、角谷さんのプロガイドとしての能力の高さを遺憾なく発揮した所、  その決断の早い事、早い事、的確な退却の指示やトラバースの指示にて先行パーティをごぼう抜き、懸垂下降もクライム・ダウンもする事なく順調に進む。「ここは浮き石多い所やから気をつけるように」「ハイ わかりました」元気な返事をしたけれど、最後尾を歩いている俺が一番不利なんや 目の前の子供の頭ほどの岩がチョットも触ってないのに俺の方へ転がってきた。「うぁ *◎△#☆○・・・!!」ちょうど俺の膝の上でその岩がオッチンしている状態になる。砂川さん「岩、落としたらえぇやん」 そんなこと言ってもこの体勢ではそんな事でけへん。このパンツ、BIG PACKのおNEWのパンツやで〜〜ぇ!!2万2千円もしたんやで〜ぇ!!豊島さんの二の舞やぁ〜!!手で押さえてゆっくり足を動かしてどうにか岩をどけて落とすことに成功。ふぅ〜!!2万2千円の力だ!貧乏人は強いんや?! 
 なんだかんだで北鎌平到着、こまめに休憩をとってくれるのが助かった。次は槍の穂先を残すのみ、下のチムニーにて、角谷さん「この足の置き場をよう見てて」と言い残し早々とクライムしていく。女性陣から「ウチらそんなに足長ない、とどけへんて!」と声が上がる。全く同感、それでも砂川さん、黒田さんと各自がステップやホールドを探してなんなくクライムしていく。さて俺の番、手と足を動かしドッコイショと登っていくとアラ不思議。ちゃんと登れました。忘れもしない1年前、古法華のゲレンデで岩壁にヤモリみたい張りついたまま、「俺はなんでお金払ってまで、こんな恐怖の体験をしてるんや!」と心の底から思って泣きを見た事が、今になって役に立った。上のチムニーも先ほどの要領で登りきり、ついに・ついに・ついに3時13分槍の穂先に到着。メンバー同志、握手を交換してバンザ〜イ!!。  念願であった北鎌尾根 角谷さんの名ガイドのおかげで難なく無事に終了しました。  それにしても自分の登山者としての体力、技術、そして知識の無さを今回ほど感じた事はありませんでした。
 さぞかし角谷さんは俺達の実力の無さをハラハラして見ている事やろな。  実力以上の北鎌尾根を安心して歩けたのは角谷さんのおかげです。スケッチブックを持参して山歩きの楽しむ方法を教えてくれた砂川さん、俺以上の山に対する情熱をお持ちの黒田さん どうも おおきにありがとう。
 最後にこの長〜い作文を読んでくれた人。 お疲れさんです おおきに ありがとう。
 追伸 おかげさんで右膝の痛みは2日ほどで綺麗さっぱり消えました。


2003年 ヨーロッパへ       宮崎和子
 今年のヨーロッパは、お天気も良く暑いと聞いて8月16日日本出発。18日ツエルマットに着いたときのマッターホルンは東面にうっすらと雪をつけ、おおいかぶさるようにそそり立っていた姿は本当に美しく、永年憧れ想像していた以上のものでした。雪解け待ち、高所順応のためポリュックス(今年はクレバスが多いとか)への山行、リッフェルホルンでの6ピッチの素晴らしい景色を見ながらのクライミング。リンピッシュホルンへ。前日、山小屋を利用して早朝出発。雪と岩場がミックスした登山で、どの山もマッターホルンに登るためにとても良いトレーニングだったと、後程思いましたが、日々疲れがたまっていくのを感じました。23日ヘルンリ小屋へ。24日マッターホルン登頂、その後フランスシャモニに移動してラジョー、コロンビアの岩場でクライミングしてきました。
 どの山も、街も、登山しても眺めても素晴らしいものですが、大きく高い分、私が日本で想像していた以上の体力が必要(二上山〜紀見峠が精一杯ではだめ)と反省して帰ってきました。

蓮華温泉スキーツアー(2003/3/29土〜30日)          滑川 陽子

 三年前から個人的にもずっとずっと行きたかった蓮華温泉のスキーツアー。

今冬(春?)、やっと念願かないました。いったいどんなところなんだろう??期待は膨らみます。今回、参加は角谷先生、臼井さん、砂川さん、諏訪さん、そして私…です。私一人がテレマークでの参加、あとは皆さん山スキーです。

 3月29日土曜日、お天気はかなりガスっていますが、午後からは晴れるとの天気予報を信じて、ワクワクしながら栂池ゴンドラリフトに乗りました。

これでいっきに標高1580mまで登れる!!足で登らずにそんなに稼げるなんて…うれ

しい〜!そんなことを考えていると終点に着いてしまい、いよいよシール登行が待っていました。

 あ〜しんどい…まだかな…?そんなことばかり考えながら、登ります。途中で何度か雪上車が登っているのにも遭遇。あの雪上車が白タクしてくれたら乗るかも。

ずっとガスがかかっていて周囲が見えず、どれくらい登ったのか、先がどれくらいな

のかがまったく見えません。お昼近くなって突然パ〜っと晴れ間が…。するとギョギョ!?周りにこんなに沢山のパーティが登っていたなんて…。20人くらいのパーティがあっちにもこっちにも…。急に不安になってきました。こんなに沢山の人が蓮華温泉に泊まれるんだろうか?早く行かなくては…。(そんなこと思ったのはたぶん私だけでしょうが…)

 やっとこさお昼頃、標高2200m天狗原に到着です。ここからは蓮華温泉に向けてス

キーで下るだけ…。イメージはだだっ広いスノートラックを颯爽と滑るのみ…??

しかしそんなものは絵に書いた餅。夢は角谷先生にお任せした形になり、私の現実は

ターンの度にバタバタとこけ、いつしか雪だるま状態です。テレマークとはそんなもんか…と同行の皆さんに誤解されないか不安がよぎりつつ、なんとか下りていきました。しかしだんだんそれなりに気分爽快になってきます。やっぱりスキーは気持ちいいなぁ〜、しんどい思いして登って良かった!明日にもう一度登りが待っているなんて全く知らず、のんきなモンでした…。

 

蓮華温泉は予想通り、宿泊客であふれんばかり…。しかし大きな旅館?のようで、お風呂も快適です。諏訪さんの事前ネット情報によると、少し離れたところに露天風呂もあるとのこと…。

諏訪さんと角谷先生はチャレンジ予定でしたが残念ながらオープン前でした。

 翌30日、朝からピーカン晴れです。今日は木地屋という標高650mの所まで、スキー下山です。蓮華温泉の標高が1450mほどなので、だいたい800mの下りかな?そんな単純計算をしていました。すると角谷先生はスタートからシールの着用を言い付けられます。どうやら峠があるらしい…ムム?まぁ仕方ないか…。朝なので雪面が固く、カリカリ状態のトラバースが続き、みんな無口になっていました。

途中、日陰面で雪崩跡もあるような場所に差し掛かると、角谷先生が私達を手前で待

たせてひとりチェックに行かれました。

結構急なトラバース斜面で、角谷先生は何やら?やっておられます。そのうち「あかんなぁ〜、ちょっと戻って別ルートにしよかぁ〜」と…。

 びびりの私はホッと胸をなでおろし、別ルートとやらへ…。と、そこにはとんでもない急斜面が!!この斜面を谷にいったん降りて、その向こうでもう一度登り返して予定ルートへ出るとの事。雪質はよさそうだけど、この斜度は…。

 いつものように角谷先生がスイスイ滑って下で待ち構えています。「はよおいで〜」残り4人固まっています…。じゃ!と仕方なく私は斜滑降の決心をしてスタート、そしてキックターンで向きを変える!

そのつもりでした。しかし…案の定キックターンに失敗し、そのまま急斜面を滑り落

ちる状態になりました。見た目より雪が固い?スキーの板で止めようとしても止まりません…あ〜れ〜っ??ズルズル〜〜〜。

しかしその内、下に居たはずの角谷先生の足元までみごとに到着。ラッキ〜!!

結果私は急斜面をスキーで降りなくてすみました。すると依然、上方で固まっていたメンバーに向かって角谷先生が「もうみんな今みたいにしてお尻で降りといで〜」なんと私がお手本!?。

しかし結局はみんなスキーで降りてこられたのですが・・・(すばらしい!)

 

 その後も軽い登りを含めたトラバースが続き、私はてっきり今日の峠は終わったと

思っていたので、本当の峠?が目の前に現れたときには倒れそうでした。

「だいたい上まで20分〜30分くらいやな」との先生の言葉をどこまで信じて良いのや

ら…?ひたすらジグザグ登りが続きます。精一杯登っているのにどんどん先生との距離がひらきます。なんでこんなしんどい事してるんやろう…。私はスキー登山に向いてない気がする…。ゲレンデで滑ってれば良かった…などなど、軟弱な考えが色々と頭をよぎります。しかし結局30分かからず、峠越えが終わりました。あ〜ホントやったんやぁ…(先生ゴメンナサイ)

 峠からの下りはやっぱりスキーは楽しいなぁ〜…と思いつつ(ゲンキンなやつで

す…)林道を滑り、動物の足跡を楽しめる余裕なんかも。でも結構疲れているので、何とも無いところで突然こけたりもするのですが…。

 お昼過ぎ、木地屋でお迎え車を見たときは、何とも言えない安堵感でいっぱいでした!あ〜到着したぁ。栂池に戻ってからのジンギスカンもおなかいっぱい食べました。

 角谷先生、そして臼井さん、砂川さん、諏訪さん、お世話になりました。

またスキー行きましょうね!!あ〜〜楽しかった!!


大山雪洞泊   諏訪頼子

有永先生 山岸 河本 小野 太田 諏訪

 

 3月8日 早朝、私は大山へ向けて出発しました。米子道はチェーン規制。スタッドレスの車を借りてきてて良かった。皆さんはJR大阪駅集合なんですが、私は蒜山SAで合流。初めて大山方面へ1人で出かけるので車での所用時間が分かりません。 で、早く着きすぎてしまいました。(9時半の待合せが、8時半)

 朝食は軽く済ませてきましたが、少々空腹でもあるので、山菜ソバを食べてもまだ8時45分!外は雪が降っているので、SAの中で入口のドアを見つめて9時半を待ちました。が、誰も現れません??場所間違えた??時間違ってた??10時前、電話が鳴りました。「スワサンデスカ?」「ハイハイ」と見上げると目の前にオッチャン いや有永先生と小野さん。

イヤ〜 会えて良かった。と言うことで、無事、車3台、大山寺駐車場へお昼前に着きました。

 準備を整えて出発。駐在所へ入山届を出し、橋を渡り、登山道へ。しばし歩いた後、体操。でも、歩きながら「何で私は雪洞へ来てるの? 大山山スキーに申し込んだのに‥‥」と釈然としない思いを抱きつつも、いつものとおり「まっ イイカッ」

 少し歩いた所で、道の脇に不審な車。横目で見ながら先へ行こうとすると、車から男性が降りて来て(残念ながら若くない)

「アンケートにご協力を」

Q:どちらからいらっしゃいました?

A:神戸 イヤ大阪方面から

Q:年齢構成は?

A:40代3人、50代1人、60代1人、70代1人エ〜 70代??!!    誰っ?

Q:今日下山ですか?

A:6合目か7合目に雪洞を掘って泊まり  ます。

「有難うございました。お気をつけて。」

の声に送られて、雪の林へ。林の中なので、風もそんなにひどくなくポコポコ歩いて2時間。6合目の石室へ到着。その左手奥に雪洞を掘ることに。

 さて、皆スコップを持ち出して掘り始めたんですが、私なんか初めてなんでイメージできない。どう掘ったらいいんだろ?

 有永先生に言われるままに、掘った雪を肩越しに後ろにほうり投げること2時間。 あ”〜疲れた。と言うことで、ここで

石室でティータイム。熱いお茶とお菓子。交代で休憩のはずが5人集まっちゃた。 「あれ、先生は?」呼びに行ったんですが‥‥お茶して、行ってみると何と出来上がっている!!素晴らしい!! 有永先生ありがとう。しかも山岸さん作のトイレ付き。 入口にツエルトを吊るして完成。 あ〜あ、雪洞ってこんなんやったんや。 と私はやっと納得。

 雪の床の上にマットを敷いてから、夕食作り。でも、これが材料が多い。ワー食べきれん。何でこんな多いん??明日の朝に残しとこ。なんて言いながら、熱いお鍋をいただきました。有永先生持参の焼酎のお湯割りを飲みながら‥ ほへーおいしかった。お鍋も、お酒も。幸せな気分でシュラフの入っておやすみなさい。

 皆さん2日目の夜が明けました。雪洞の中は、静かで平和な1日が始まる予感。でもツエルトをあけて外へ出てみると、見事な吹雪。エ”−と思いながら、太田さんお心入れの朝食。熱熱のうどん鍋を食べて、さあどうするの?

 有永先生は行く気十分。フヒャー行きますか?!この吹雪の中。 来ちゃたんだからしょうがない。不要なものを、雪洞へ残し、アイゼンを付け、ピッケルを持ち、フードを被り風と雪の中へ。雪が上から降って来るのか風に巻き上げられて下からなのかとにかく風が強い。 目の前が見えない。有永先生の姿を見失わないように、ついて行きます。 道、間違えてないよネ〜なんて思ってたら吹雪の中に赤布がかすんでる。 ヒエ〜こんな状況でどうして道がわかるの??スゴイ!!片足を上げたら吹き飛ばされそう(そんなに軽くないか?)小休止の時なんかアレッ、これってヒョットして耐風姿勢?ってことで何時に出発して、何時に山頂へ着いたか失念してしまいました。が、とにかく到着。でも、山頂に何かあるらしいんだけど雪の下。「このあたりが山頂でしょう」と言うことで記念写真。山頂下の小屋で大休止。 でも入口が雪でうまってて、スベリ台状態。小屋の中へスベリ込みました。中はとっても広くて、無雪期なら快適そう。ずっと居たいけどそんな訳にもいかず下山開始。ここでちょこっと滑落停止の練習。こんな吹雪の中を登って来る人たちとすれ違いながら、

滑落しないように注意して歩く。思いのほか早く雪洞へ帰り着く。けれどこれも時間を忘れました。荷物を整へ駐車場を目指します。6合目から下はまあ快適な下り。 全員無事駐車場着。お疲れ様でした。  あ〜あ 疲れた。それにしても恐るべし 60代!70代!  完


白馬主稜   中谷 陽子         

 5月9日〜11日にかけて、白馬主稜の山行に参加しました。

5月9日は11時半頃松本駅に集合後して駅前で昼食後、猿倉から白馬尻まで行ってテント泊の予定でした。お天気は快晴で、途中ほとんど人にも会わずとても静かでした。時折横に見える山の斜面を、大きな石がゴロンゴロンとものすごい音をたてながら、いくつも転がり落ちていくのが見えて「まさか明日登っているときにあんなのが落ちてきたりしないよね?」とちょっと心配になります。1時間半ほどで、白馬尻に到着しました。白馬尻小屋はまだ分解されて雪の中にうまっているそうで、影も形もありません。まずはスコップで雪を掘って平らにしてテントをはる準備です。最初はスコップの持ち方から注意される始末でしたが、掘っているうちにこつが分かって楽しくなってきました。宮崎さん、砂川さんと交代で掘りまくり、雪面が平らになったところでテントを張りました。目の前には白馬主稜と杓子岳、白馬鑓ヶ岳が夕日に照らされてそびえています。周りを見回してみても人もほとんどおらず、とても静かで雄大な眺めです。この景色を見られただけでも来れてよかったなぁとしみじみ思いました。それに予報では明日も良いお天気のようなので楽しみです。(というか天気が悪かったらあんな所、とても登れそうにありません。)明日はAM2時起床ということで、早々に夕食を食べて7時頃には就寝しました。

10日はAM2時に起床し、3時すぎにテントを出発しました。テントに不要な持ち物をおいてきたのでリュックはずいぶん軽くなりました。雪の斜面を延々と登り続けると岩場も所々に出てきました。岩場は特に急な所は無かったように思いますが、岩がとても脆くて手でつかんだり足を置くとすぐにポロポロ剥がれてくるので、後ろの人に岩を落としてしまいそうで気を使いました。また頭や足に、はい松の枝などがしょっちゅうひっかかってきます。一方、雪の斜面もしだいに急な所が増えてきました。この頃になると雪も早朝より緩んできて、特に急な場所では最初に先生がアイゼンをけり込んで階段状にしながら登ってくれているにもかかわらず、いざ私がそこに乗ると雪が崩れてしまって、なかなかうまく登れません。前方に体重をかければ雪を崩さずにうまく乗り込めそうなのですが、リュックの重みなどもあって思うようにいきません。結局先生に半分無理矢理ロープで引っ張ってもらって登った所もあり、ちょっと情けないです。一つの峰を登ると、また次の峰が出てくるといった状態を延々とくりかえすこと数時間。ついに「これを登ったら山頂。」と先生がおっしゃいました。後ろを振り返るとテントが小さく見えて、あんなところからもうこんなに来てしまったんだなと妙に感心してしまいました。先生がルートを選びながら慎重に登っていきます「よっしゃ〜、登っておいで。」の声で一歩ずつアイゼンをけり込んで登っていくと、ついに山頂に着きました。「やった〜。登れた〜!」時計を見ると11時半過ぎでした。頂上からの眺めは最高!気分も最高!でした。今回の山行でもアイゼンも岩登りもまだまだ練習不足なのを実感しましたが、お天気にも恵まれてとても楽しかったです。角谷先生、砂川さん、宮崎さん、本当にありがとうございました。

 


めっちゃしんどかった北鎌

 数々の劇的なドラマを生んでいる北鎌、そんなとんでもないルートに無謀にも挑戦する事にした私でしたが・・・・      8月25日午前3時 昨日までの雨はウソのように上がり、空には月が明るく輝いていました。 あたりは、静寂が支配しています。澄み切った空気を、胸一杯に吸い込んで、角谷先生、泉さん & 私の3名は、出発しました。月明かりと、ヘッドランプの明かりを頼りに貧乏沢下降点へ。いよいよ、長い長い一日の始まりです。
 貧乏沢のくだりは道なき道を行くガレ地獄、ブッシュ地獄の連続でした。ブッシュ地獄では、細い潅木をかきわけ踏み越え、倒木で向こう脛を劇打ちし(今でも右足の向こう脛に傷痕が残っています。)、ガレ場地獄では傾斜に足がついていかずよたついて尻もちをつき、悪戦苦闘すること約2時間傾斜がゆるくなりやっと地獄を脱出することができました。
 この貧乏沢のくだりで、ヘロヘロ状態の私は、朝ご飯も満足に食べられず、これからの行程が不安で不安でたまりませんでした。天上沢の広い河原を暫く歩き北鎌のコルの上り口右俣に到着しました。ここから、北鎌沢のコルへは、果てしない急登。ウソみたいな話ですが、今下ってきたのと同じ距離を登り返します。遥かかなたに、目標のコルらしいものがみえています。私達は、大きな岩がゴロゴロしている沢をゆっくり登っていきました。いくら急登好きの私でも、しんどいです。息が上がります。そして、何の気なしに掴んだ岩(30KGくらい)が私の方に転がってきました。とっさに、両手で抱きかかえたのですが、重くてうっちゃる事ができません。太ももに落としてしまうと、大腿骨が折れるのではないかと思い必死で岩を抱きかかえてもがいていました。後ろを歩いていた、泉さんが気づき、角谷先生と一緒に、岩を除けてくださいました。めっちゃ怖かった。もう泣きそうです。(このせいで、おNEWのシャツが岩にすれてぼろぼろになってしい廃棄処分となりました。)このハプニング以降、槍の頂上に登りつめるまで、どの岩も自分の方に向かってくるようで怖く緊張しまくりでした。コルに近づくにつれ傾斜がハンパじゃないくらい急になりますます歩きにくく、ついに、ロープでつながれることになりました。なんちゅう急登。やっとのことで、北鎌沢のコルに到着しました。そこには、ビバークした残骸や、ゴミが散らばっていました。(なんとも不気味です。)
 ここで、本日3回目の休憩です。ここまでですでに、約6時間が経過していました。まだ、大槍、小槍の姿は全く見えません。北鎌沢のコルを出発し、次に目指すは独標です。尾根筋に出れば、よっしゃ!楽勝!と思っていた私の気持ちは歩き出してすぐに打ち消されました。草付のスラブや、這松がうじゃうじゃしている急登、足を踏み外せば「サヨウナラ〜」状態のザレた細い道が続きます。しんどくて、しんどくて、すでに、足が前に出ません。のどもカラカラです。、休憩してほしい。5分でも、お願いします!と、心の中で何度も角谷先生にお願いしました。しかし、角谷先生から「休憩しましょか」のお声も無く、トボトボ独標を目指して歩きます。何回、ロープを張ってもらったでしょう。疲れているので、簡単な岩の下降もふらつき、メロドラマのように、確保してくださっている角谷先生の足に、ヨヨとすがりついしまいました。 (超、カッコ悪いです。)独標に近づくにつれて、大槍と小槍の姿が見えてきました。圧巻です!こんな角度の槍ヶ岳は、北鎌を登る者しか、多分拝むことはできません。(それにしても変な形、小槍が、大槍から生えているみたい。)
 12時独標着、待ちにまった休憩です。角谷先生から、「独標まで、思ったより時間が、かかった。」と、告げられました。「そんなん、ゆうてもこれ以上早くは歩かれへんし、無茶ゆわんといて。も〜、何でこんなとこへ行きたいゆうてんやろ。」今頃後悔しても遅いのですが、後悔せずにはいられません疲れて食欲もありません。早く、小屋に入って生ビールをぐびぐび飲みたいゾ!一昨日、合戦小屋で食べたスイカ、独標で売ってたら、一切れ 5,000円でも買うのにな。売りにけーへんかな。楽しいことでも考えなければ、もう歩けません。あと、3時間で頂上に到着するのでしょうか。
 まだ、休んでいたいけれど出発です。目指す、北鎌平で最後の休憩になる模様です。槍の頂上までには、まだまだです。絶望感で、どんどん足が重くなってきます。角谷先生は、相変わらず、どんな所も同じペースで歩いていきます。だんだん、距離があいていきます。しかし、追いつこうという気力もわきません。いくつかの、ピークを越えあるいは、巻き、ゆっくりですが進んでゆきました。やっとこさ最後の休憩場所北鎌平着です。休憩中、角谷先生から、「今日は、ゆっくり歩いているのに、もっと、根性を出して歩くよう。」にとの、厳しいお言葉。根性?私には、もう少しも残っていません。北鎌平から槍の頂上は、見上げるだけで、気持ちが沈むくらいの険しさです。北鎌平から取り付きまでは、ヨタつきながら登りました。取り付きからは、岩登りです。プロテクションも無いのに、角谷先生は、ずんずん登って行きます。ロープが、岩に擦れて、細かい岩がバラバラ落ちてきて顔にあたります。ロープが一杯になりました。「ロープ一杯!」 いよいよ登っていかなければなりません。心臓は、ドキドキ、口から出そうです。 下を見ると、すごい高度感。「こんな高いとこ、よう登らへん。どないしよう。」 岩登りの第一歩目は、とても怖いです。ノドはカラカラ。冷や汗タラタラ。確保してくださっている角谷先生から、「のぼってる〜?」と、いつもの声。「ハ〜イ!登ります。」と返事はしたものの、やはり踏ん切りがつきません。泉さんが、「大丈夫、確保してくれてるから。」と励ましてくれるのですが。怖がりの私は、あ〜でもない。こ〜でもないと、ナカナカ踏み出せない。ついに角谷先生から今まで(私は)聞いたことが無いお言葉「さっさと、登ってこい!」が。ひょえ〜。その声に、私は、決心しました。登らないと終わらないと。人間必死になれば、何とかなるものです。取り敢えず、1本目は、登りきりました。どんどん高度はあがります。2本目、怖くて涙目です。不安です。膝はガクガク。3本目、頭の上には何もない。もしかして、頂上?どの本にも、劇的なフィナーレとかかれている例のあれ? あまりにもあっけない。でも、胸が一杯。感動で、涙が流れる。もう今日は、歩かなくていい。生ビールが飲める。感情がごちゃ混ぜになってしまっている。角谷先生、泉さん、と握手。
 頂上着、午後4時前、長い長い一日でした。

大阪 豊島(小屋について、夕陽を眺めながら飲んだ生ビールは、絶品でした。このルートは、必ずリベンジしたいです。)
大阪 豊島 理子

 


モンテローザ デュフールシュピッツェの登頂          中谷 陽子
2002年7月22日
 ツェルマットに来てから今日で約1週間。先週はお天気が不安定で、なかなか晴れの日が続かなかったけれど、昨日の天気予報では2日続けて快晴!ということでいよいよモンテローザに登りに行くことになりました。第1日目はモンテローザ小屋まで。朝10:00頃のツェルマット発ゴルナーグラード展望台行きの登山電車に乗って途中のリッフェルベルグ駅で下車、今日は普通に歩いても3〜4時間位のトレッキングコースなので、のんびりとハイキングです。お天気は快晴。日差しが強くてサングラス無しではちょっと眩しい位です。お花畑の中の道をゴルナー氷河に向かって降りていく途中、リスカムの奥にモンテローザの大きなでこぼこした山塊が見えてきました。さらに下ってリッフェルベルグ駅から約2時間でゴルナー氷河の上に出ました。ここからモンテローザ小屋の近くまでは氷河の上を歩いていきます。氷河の上は太陽がぎらぎら反射して一段と眩しいのですが、景色があまりにも素晴らしいので、サングラスをかけているのがなんだかもったいないような気がしました。「またこれで一層日焼けするなぁ。」と思いつつ、今更無駄な気もしましたが休憩の度に日焼け止めを重ね塗りしていました。歩きながらモンテローザの反対側を振り返ると、氷河の向こうにマッターホルンが見えます。ここからのマッターホルンは山の東壁側が正面に見えて、いつもと少し違う形をしていますが、やはりどこから見ても特別かっこいい山です。氷河を渡り終えた後は、大きな岩の上の道を40分位登って、14:30頃モンテローザ小屋に到着。18:30からの夕食までは外のベンチで景色を見ながらゴロゴロしていました。ちなみに夕食のメインは日本のものとはかなり違いましたが、カレーライスでした。夕食後は20:00過ぎ頃には就寝。明日は2:00起床なので早く寝ないと・・・。
2002年7月23日
 1:50頃、周りの人がごそごそと起きはじめた気配で目が覚めました。先生はもう起きて準備していました。慌てて私も起きて支度をして、朝食を食べに食堂へ。この山小屋はモンテローザに登頂しに行く人と普通のトレッキングで来ている人のために、朝食の時間は2:00〜と7:00〜の二回に分かれています。朝食後2:50頃に小屋を出発。外は満天の星空で、夜中なのに思ったほど寒くはありません。最初、大きな岩がごろごろ転がっているゆるい坂道を歩いていくと、1時間くらいで雪の上に出ました。ここからはロープをつけて登っていきます。登っているうちに、だんだん空の向こうが紫色になって、そのうちに山の一部が朝焼けでオレンジ色に染まってきました。あまりにきれいなのでしょっちゅう立ち止まっては写真をとりました。今回のヨーロッパアルプスで一番私の印象に残っているのは、この時の景色です。その後もさらに登り続けて、8:00過ぎには高度も4300メートルを超えてきました。今日も天気予報の通り快晴になるようでしたが、この高さまでくると、風もだんだん強く寒くなってきました。前を見ると私達が登っている斜面の上に、もう一段高くなった場所があってそのてっぺんには岩肌が見えています。てっきりそこが頂上だと勘違いしていた私でしたが、約30分後にその場所に着いて「・・・??何?!これは??!!」と一瞬呆然としました。下からは手前しか見えていませんでしたが、実は目の前のごつごつした岩のさらに奥に雪の積もった細い稜線が続いていて、その一番奥が実は頂上だったのです。下は両側ともすぱっと切れ落ちていて、どちらに足を踏み外しても何十メートルも落ちていくのでは・・・・、という感じです。先生が私の前に行ったり後ろに行ったりして、ちゃんとロープを引っ張ってくれているので、覚悟を決めて歩き出しましたが、風は一層強くなって耳元でビュービューいっているし、寒いし、アイゼンは岩の上の雪ですべるしでとにかく怖い所でした。ここまでは私達の前に他の登山者が何人かいたのですが、みんなここで先に進めなくなったり、引き返したりしていったので、この日頂上に着いたのは私達が最初で、多分私達だけだったようです。(本当に先生のおかげです!)結局この稜線を歩くのに約1時間もかかり、山頂に到着したのは9:30頃でした。山頂には鉄(?)の十字架が立っていました。
 とにかく風が強くて寒いので、写真を撮ってすぐに降りることにして、今来た稜線を戻り、また延々と雪の斜面を降りていきました。降りるほどに風が無くなり気温も上がってきて、山頂では冬用のヤッケに真冬用の分厚い手袋の上にオーバー手袋でも寒かったのに、ここでは長袖シャツ1枚でも暑いくらいでした。日光がぎらぎら照りつける中をひたすら歩いて歩いて歩いて、モンテローザ小屋には15:00位に帰り着きました。ここで急に気が緩んでしまって、小屋から駅までの昨日は楽しかったハイキング道が今日は苦しい道になってしまいました。(行きは下りでしたが、帰りは登りだし・・・。)18:00過ぎにようやくリッフェルベルグ駅に着きましたが、ちょうど電車が行ってしまった後で、次の電車は19:20頃まで来なくて、結局ツェルマットにたどり着いたのは20:00頃でした。長い長い一日でしたが、忘れられない経験になりました。この夏、スイスに行く前は、「モンテローザという山の名前は聞いたことがあるなぁ。」という程度だったのですが、この2日間の山行でモンテローザは私にとって特別な山になりました。角谷先生、本当にありがとうございました。


2002年3月23日〜24日 卒業山行、雪の西穂高            中川 清

昨年4月、山塾に入って一年。 山ってこんなにいろんな楽しみ方があるのかと知った。やってみようなどと思ったこともなかったクライミング。暑い夏に汗まみれで登るだけでないと知った沢登り。そんな危ないところトテモトテモと思っていた雪山。さらに、新雪にシュプールを描く山スキー。 いずれも何とか体験できた。そして、いよいよ卒業山行、雪の西穂高!
 若い人と同じようなわけにいかないと、体調万全を期して、前日新穂高温泉に一泊。酒と温泉でからだをほぐして熟睡。 翌日ゆっくり起きてロープウェイ乗り場に集合。 前夜車で着いて仮眠をとった人、寝台列車で来た人等々集まってくる。 総勢7名。 ガイドの先生2名。 ロープウェイを乗り継いで西穂高口へ。 ガスっていて眺望ゼロ。 雪が降っている。 大阪では早い桜が満開で、ほんとに山に雪はあるのかと思っていたが、やっぱり山は雪だった。
 西穂高山荘へは1時間あまりで到着。 夕食までだいぶ時間がある。 前夜睡眠不足の人はただちに爆睡。夕食後、8時頃就寝。 布団一枚でゆったり眠れる。 夏ならこうはいくまい。
 3月24日いよいよ西穂登頂の日。 朝3時半起床。 4時階下の食堂に降りて準備、朝食。 昨夜だいぶ雪が積もったもよう。 5時出発予定を5時半に延ばす。5時半ヘッドランプをつけて出発。風が強く、雪が吹き飛ばされてしまっているところは、もなか雪のようになっている。 雨も降ったのだろうか。晴れる気配はない。 風当たりの弱いところへ皆を集めて、角谷先生が目出帽をつけるように指示。 突然、肩から降ろしたザックの一つが、氷の上を滑るようにツーと落ちていく。止まるところがない。ガイドの島田先生が追いかけてタックル。 その俊敏さは、さすがガイド。 と感心していると、こんどはテルモスのふた滑落。たまたま前におられた角谷先生が止めて拾い上げる。 「これが人間だったら止められませんよ」と厳しい注意。 
 アイゼンの爪全体で地面をとらえながら前進。 角谷先生がザイルをつけるよう指示。ザイルをつないでさらに前進。斜面が広大なのであんがい歩きやすい。
 独標の急登、慎重に登る。ついに独標到着。角谷先生が独標の先の雪質を調べに行く。雪質が悪いのと天候の回復が見込めないということで、今日はここまで。 残念。でも我が力量ここまでと納得。ホッと一息。 いつも、もう登らなくていいとホッとするために登っているようで、我ながら変な山登りだ。 9時頃小屋へ到着。 休憩。 下山。 入浴。 この入浴の楽しみのために登ってきたみたいで、これも変・・・?
 西穂は独標までで残念だったが、赤岳は登ったし、蝶もがんばったし、いちおう総合点で合格卒業ということだろうか?
 一年間どうもありがとうございました。 


春の甲斐駒 2002年 4月6〜7日 宮崎和子

「チームマッターホルン」堅い雪の登下降、体力アップを目指します。ということで甲斐駒に登頂しました。今夏ヨーロッパアルプス登山を目指して昨夏より私はタイムリミットと思い、ヨーロッパアルプス登頂スクールに入っています。4年前ビスタリクラブに入会して、今まで参加していた山行とは異なり、トレッキングより登頂する、それもハイレベル、私にとっては別世界の山々の名前が出て、地図でも破線と、そういう山行を目指しておられる人たちに出会い、また山の本を読むうちに、脇坂順一さんの著書に中に、「人間は何か夢を持つことが大切で、夢を持つことは人生を豊かにし、生き甲斐あるものとし、夢のない人生は寂しい。ただし夢を持ったからには、目標に向かって精進し、情熱を傾け、周到な準備を着実に続行すれば夢は叶えられる。」という一節を自分に都合よく解釈し、「私の夢はマッターホルンに登る」に決めた。しかし、実行は難しそう。急に思い立っても体力はなかなかつかないし、少し油断すればすぐに落ち、クライミングも家の近くの室内ジムに通って、だいぶんましになっているが、実際の岩場で通用するかわかりません。でも、マッターホルンに登りたい気持ちは、この4年間色々な出来事がありましたが変わる事なく心の灯となっています。14kgの荷物を背負って家を出るまで風邪ひきと戦いましたが、戸台の河原歩き、1日目のキャンプサイト北沢峠へ、夜は雨にも降られましたが2日目は雨も止み仙水峠から駒津峰へ、ロープを着けて六方石から甲斐駒登頂、下りはだんだんと天気も良くなり仙水峠では、はっきり、甲斐駒、摩利支天を仰ぎ見ることができました。3日目はアイゼンを付けて戸台へ出発。足がぼそっと雪の中に深く挟まる事も有りましたが無事に下降。甲斐駒は「風邪ひきさん、またおいで」とずっと見守ってくれ、私は大はしゃぎで帰ってきました。


2001 年末の蝶ヶ岳登山       中谷 陽子 

12月28日
 中ノ湯トンネルを抜けて、雪の降る上高地を歩いていきました。途中大正池ホテルで休憩したり、穂高神社に寄り道して明日のお天気と全員登頂を祈願したりしながら、宿泊地の徳沢園を目指しました。それにしても観光客でごったがえしている夏の上高地とは全く違ってとても静かな雰囲気です。その中を歩いていると自然と清々しい気分になってきます。徳沢園に到着した頃には雪も少しずつやんできましたのでビーコン探しのゲーム、じゃなくて訓練をしました。私にとっては初の本格的な冬山なので、なにを見ても感激だし、なにをしていても楽しい!という感じの一日でした。

12月29日
 いよいよ今日は蝶ヶ岳登頂の日です。AM4時半ごろ起床して朝食に角谷先生の作ってくださったラーメンを食べて、5時半頃出発しました。最初はまだ暗い森(林?)の中をヘッドランプの光を頼りに歩いていましたが、新村橋のあたりで休憩する頃にはすっかり明るくなっていて向かいの山々の見事な朝焼けを見ることが出来ました。昨日の穂高神社の御利益があったのか、今日は本当に良いお天気です。風もそんなに無いので寒さもあまり感じませんでした。さらに歩いて横尾山荘を過ぎて、いよいよ蝶ヶ岳への登りが始まりました。昨日までに降った雪が深くてとても歩きにくいです。先生を先頭に男性陣がその後に続いてラッセルしながら登っていくのですが、前の人の足跡から少しずれるとすぐに足がずぶずぶともぐってしまい、なかなか思うように歩くことが出来ません。最初は列の後ろのほうで体力温存(?)していた私たちも途中からは前の方と交代しながらさらにラッセルしましたが、やはり思うように進みません。先生が「12時までは行ける所まで行きますが、それを過ぎたら引き返します。」と言われたので、休憩も立ったまま取るなどみんなハイペースで頑張りましたが、やっぱり思い通りには進めなくて時間ばかりが過ぎていきます。私は途中2番目か3番目あたりを歩いていたのですが、先生がしょっちゅう時計を見ておられるので、「もしかしたら間に合わないのかもしれないなあ。」と心配になりました。結局森林限界を超えたあたりでタイムオーバーになってしまい、そこでお昼の休憩をとってから引き返す事になりました。すぐ先の方には広々とした山頂も見えているのでちょっと残念でしたが、振り返ってみると前穂高、奥穂高、北穂高、南岳などの山々がばっちり見えて素晴らしい景色でした。みんな口々に「とりあえず森林限界は越えられて良かった。」とか「すごい眺めだね〜。」などと言いながら夢中で景色を眺めたり写真を撮ったりしていました。(今その写真を見るとその時のハイテンションぶりが伝わってきます。)私は今まで冬山の景色といえばスキー場から眺める位でしたが、こうやって自分の足で登ってきて見る景色はまた全然違います。登頂は出来なかったけれどとにかく最高の気分で、改めて「今回の山行に参加できて良かったなあ。」としみじみ思いました。先生が「あれが前穂高であれが奥穂高で・・・。」と説明してくださるのを聞きながら「次はあの山に登ってみたいな〜。でも来年もう一度蝶ヶ岳登頂にも挑戦したいなあな。」などと考えているうちに休憩も終わりました。帰りは持参したわかんをつけて降りたので登りに比べるととても楽でした。私はわかんを使うのももちろん初めてだったのですが、思ったより難しくなくて(下りだったからかもしれませんが・・。)なかなか楽しかったです。子供の頃に金剛山で遊んだミニスキーを思い出しました。さらに歩いて4時少し前頃横尾を通りましたが、今度は夕焼けの山々を見ることがが出来ました。私はこのあたりからちょっと疲れが出てきて、足が自分の意志とは関係なく惰性で歩いているような感じになってきましたが、ビールが飲みたい一心でPM5時過ぎに徳沢園に帰り着きました。東京の無名山塾の方々も到着されていましたが、東京の方々は夕食の時もとても静かでした。私たちはビールを飲んだりしてかなり賑やかでしたが・・・・。

12月30日
 今日は徳本峠を往復してから中ノ湯へ下山する予定でしたが、風と雪がきついのでそのまま中ノ湯へ帰ることになりました。吹雪の中を黙々と歩いて、途中また大正池ホテルに寄って昼食をとった後、中ノ湯に戻りました。

今回登頂は出来ませんでしたが、お天気にも恵まれて、私にとってとても思い出深い山行になりました。初めての雪山登山がこんなに楽しいと、これからもますます山登りにはまってしまいそうな気がします。先生、ご参加の皆さん、楽しい山行をありがとうございました!これからもよろしくお願いします。また他の山行でお会いしましょう


光輝く 太平洋を背にクライミング! 2002/1/26〜27       渡部 (^o^)//"""
[白浜クライミングに参加できなかった○△◇さんへのメールより]

 泊まりで行くのは初めてのクライミング。運悪く土曜日は出勤、挙げ句に天気は土曜、日曜にかけ荒れ模様、最近はよく外れるのが、今回だけは例外、気分が滅入りそうでした。仕事を早々と切り上げ、白浜に着いたのは午後8時過ぎ、会社の保養所(マンションの一戸)だというのに、近くまで行きながら30分以上も道に迷いやっとの思いで到着しました。「遅くなりました〜」と、言いながら部屋に入ると一種異様な臭いが鼻をつく、『焼き牡蠣とは聞いていたが・・・』『なんや、この臭い?』『床一面新聞紙だらけ・・・』『ここは確かリゾートマンション・・やったな?』部屋の中を見ると、外国からの難民?密航者?が白浜に辿り着き、食事か宴会の真っ最中でした。

荷物が散乱状態の部屋『人知れず、山ん中の無人避難小屋と違うで』『この人ら 一体全体なんなんや?』雑然とした室内、なにくわぬ顔で、『俺のマンションやないけど、もう少し綺麗に片付けたら』『・・さすが山している人は違うわ』と、心の囁き。「渡部さんの分 牡蠣残しているで〜」の一言から我にかえり、それでも何か釈然としないまま“席”というか荷物の隙間に落ち着きました。目の前には山盛りの牡蠣、牡蠣、牡蠣。 (^o^) 焼く、焼く(中川さん)、食べる、食べる(渡部) 焼く(中川)のが早いか食べる(渡部)のが早いか、まるで競争でした。中川さんの焼き牡蠣のテクニック、素早い手の動き。そして返し技、昨日今日のものでないのは確かだ。その牡蠣は今まで見たことない程大きく、また旨かった。何十個平らげたのかわかりません (^-^)v 本当にこんなに食べていいのでしょうか?皆さんはとっくに食事もおわり中川(男性)さんは上機嫌で次々とビールをついでくれます、横では瞼おちかけの角谷さんがごろ寝。佐藤さんはモンペ姿でソファーを飛びまわる。中川さん(女性)ひたすら牡蠣焼きおばさん。『まるでお祭りの屋台です・』失礼。豊島さんと高山さんはせっせと片付けなさっているのでしょうか?小林さんは・・小林さんは・小林さんは 小さいのでそのあたりの荷物と一緒になっていたようで・・・記憶にない、駆けつけ何杯飲んだか 思い出せません。m(_ )m。中川さん(男性)最高潮!キツネか狸か何でできているかわからない帽子を被って大はしゃぎ『その昔、西部劇でジョンウェインが被っていたと思います、あのロシア人が被るような帽子にしっぽが生えたヤツとでも言いましょうか』中川さん「こんどの山行、赤岳頂上で被るんや!!」と叫んでいます。『それが どうしたと言うのだ・・・』 (-_-#) わたくしも調子に乗って歌いました・・小林さんが感心する程古い歌を、途中までしか覚えていなかったけど。『とにかく明日(日曜日)は、天気も荒れ模様だし観光するのだろう』食うぞ飲むぞ、でビールを水の様に流し込み、酒(冷酒)をビールの様に飲みました。
 いつのまにか zzzzzz・・・(_ _)Zzz
翌朝7時半頃目を覚ますと案の定、角谷さんも気合いが入らないのか寝袋で“みの虫”状態『それにしても、よく寝る人だ』ふと気になって外を見ると風は相当強く、台風並の強風でした。少しずつ空も明るくなり天気の具合が良くなっているような感じはしましたが、『まっ こんなんじゃクライミングできないだろう』・・・と思いながらも腹は減ってきた、頭はガンガン、二日酔いをさましに取り敢えず温泉へ行きました。朝飯は昨日の牡蠣の残りで牡蠣雑炊です。鍋は、あのいつもの角谷さんの鍋〈あの片手の取れたやつですよ〉『なんでここであの鍋で食事なのでしょうか?』『ほかに無いのでしょうか?』『あれって、洗っているのでしょうか?』『これも山行の一環でしょうか?』・・・次々と疑問が湧いてくる。「そんな事考えてたら 山はできませんよ」と、△○さんの返事が返ってきそうです。
 しかし、二日酔いの雑炊は旨いです!!4杯はおかわりしました。豊島さん曰く「そんなに食べられたら二日酔い違う」そうです。その時、頭の中にはクライミングの「ク」の字もありませんでした、体を動かすなんてとんでもない。ところが、角谷さん「着替えて、様子見に行きましょか」「え・・・観光違うの?様子だけデスヨネ?」と私は驚くばかり、『中止にならんかな』と考えつつやる気ほとんどなし。時すでに午前10時半。車に乗って着いたところはあの有名な“三段壁”、マンションから約5分のところです。『本当にこんな所でクライミングするのか?』(+_+) 岩場は断崖絶壁、低気圧、強風の余波もあり眼下には荒れ狂う波しぶき、飛び散り・・・岩をたたき、大きく唸り声をあげ・・・今までのクライミングとは違う!その音響効果の凄まじさ、酒抜けのからだ全体に恐怖感が充満してきて『こんなところでするのは 嫌だ!!』と叫びそうでした。みんな余り気分の乗らない様子、それを尻目に角谷さんは支点作り、ハーケンやピンが潮風や海水のせいで腐食していて適当なものが見つからない。それでもそこはプロ、遠くの松の木や岩のコーナーから巧みにバックアップを取っています。小林さんはその側で見ていたのですが、セルフ取っているハーケンが抜ける始末です。クライミングをする岩場は三段壁の展望台からは少し遠いですが、観光客の姿ははっきりと見えます。『まさか、こんな事していると誰も・・・思わないだろう・・・』ハーフクローブヒッチでビレイしてもらい、一人が海を背に海岸に降下、途中まで降りまた登り返す、高さ約20m、下を覗き見たらやはり怖い!!『きのう、あんなに飲むんじゃなかった』(>.<) 次は懸垂下降。海岸までで降りましたが、登り始めようとした頃から急に風と波が強くなりはじめました。間近まで大きな波が近づき、いまにも潮水がかかりそう。それどころか高潮にさらわれそうでした《クライマー高波にさらわれる?!》・・・・頭によぎった翌朝のニュースタイトルです。(x_x) 波にさらわれないように、1本のロープで各自ビレイを取り順番を待ちました。『こんなの ちょっと無いで・・』今までビレイ言うたら落下防止のはず、今回は大違い、そうこうしていたら2度3度大きな波がきました。「中止!中止!」「みんなすぐ上がってきて!」と、角谷さん。ところが、声は波の音でかき消され聞きづらく、それでも雰囲気を悟った私は、まっ先に登りきりました。あとからは小林さん、中川(男性)さん、高山さん、中川(女性)さんと、岩の上に辿り着きました。ふと下を覗き見ると、佐藤さん豊島さんが二人残っています。「次やで〜、登ってきて〜」角谷さんが叫んでも聞こえないのか、二人居残ったまま『何してんねん』『早よ 上がって来んかい』『回りの状況よく見んかい』と、誰が行ったかわかりませんが・・・。荷物を置いた岩場まで戻ると中川(女性)さんと高山さんはとっくに靴を履き換えていました。一息ついた後、軽く食事を取りました。「風がおさまったら行きましょか」と角谷さん、みんな「・・・・・・」返答なし、『治まらないやろ〜』と私σ(^_^)を含め参加者の一部は気力無し。時刻は2時前、終了となりました。牡蠣最高!中川さんおいしかった!有難うございます。(感謝)岩場には手がかり、足がかりたくさんあります。私のような初心者にはもってこいです、でも今度来る時は釣り竿持ちです。マンションから近いし天候が良ければ最高のロケーションです!p(^-^)q


2002年2月 八ヶ岳山行                     中井克明
 2月10日〜12日の赤岳・硫黄岳登山に参加しました。冬山はハイキング程度の経験しかなく、寒さが少し不安でしたが、赤岳鉱泉の食事は良いという話を聞いていたので、それが楽しみでした。
 山行当日、朝4時に起床して6時の新幹線に乗り、名古屋で乗り換えましたが、これが満席。日頃乗り物には弱くないのに、寝不足のせいか、気分が悪くなってしまいましたが、ここで天の助け。近くにいた河本さんと黒田晃さんが、たまたま空いた座席をゲットし、私に声をかけてくれたのです。これで復活できました。本当に助かりました。
 茅野駅では5人いたので、バスを待つよりもタクシーにしようと、中型車に声をかけてみたらOKの返事。前の座席に2人乗って美濃戸口まで行きました。さて、初日は小屋までということで、のんびり歩いていたのですが、気がつくと一部のメンバーを除いて他は遥か前方に……。それほどゆっくり歩いていたわけではないのに。みんなの元気に驚いた私でした。その日の晩はみんなで自己紹介。趣味を公表しあいました。
 翌日はいよいよ赤岳登頂。残念ながら天気はよくありません。まず安物のゴーグルがまたたくまに曇って使い物にならなくなり、仕方なくはずしました。しかししばらくすると、今度は眼鏡が目出帽からの息がかかって凍り付き、やはり役に立ちません。結局眼鏡もはずすしかありませんでした。途中からはザイルをつけて行きましたが、不慣れなため回りとペースを合わせられず、何度もロープがたるんで踏んでしまいました。陵線にでると風が強く、風にさらされる目元が凍傷になりはしないかと不安でした。教えられたとおり何度も手で触り、注意しました。
 そんな状況ではありましたが、角谷先生のガイドのおかげでめでたく山頂に到達。でも残念ながら回りの景色は全く見えません。しかもとにかく寒い!記念撮影を何枚か撮っただけで、すぐに下山しました。
 小屋に戻ってからは、角谷先生が小屋からいただいたワインで飲み会をしました。応援ガイドの竹内先生はICI石井スポーツに勤めておられ、靴が専門で大変詳しく、熱心に相談している方もいました。またエベレスト登頂の経歴もあり、興味深い話をいろいろ聞かせていただきました。そして夕食も終わって夜8時、浦さんが早々に床についた横で、私も追っかける様にふとんに入りましたが、しばらくすると女性陣の「どうするー。もう寝てる人いてるしー、やっぱり寝るしかないよなあ」という声が……。やはり若い人はもっと遅くまでいろいろと楽しみたかったのですね。申し訳ありませんでした。
 さて最終日は硫黄岳登頂。やはり天気はいまいちです。私のゴーグルと眼鏡は、予想通り前日と同様の運命をたどりました。山頂でも同様に、記念撮影のみですぐに下山するしかありませんでした。3日間はあっという間でした。山頂からの景色を楽しみにしている私にとって、今回の天気は残念でしたが、HPでの「風がもう少し強ければ途中で引き返していました」という文章を読み、両方とも山頂までいけて良かったと思っています。赤岳鉱泉の食事はgoodでしたが、鍋料理でなかったのが少し残念でした。あとは温泉につかれれば言うことなしだったんですけど、これは仕方ないですね。ガイドをしてくださった角谷先生と竹内先生、そしてカメラを持っていかなかった私に写真を下さった皆様、本当にありがとうございました。


2001年 5月20日(神戸登山研修所)  箕面の佐藤康子

お初のハーネスをつけての岩登り練習。(つまり、初めてロープを使って高い所まで登るのです)他の方が登るのを見ているより、なかなか 実際にしてみると難しいものでした。15m程の壁に一度だけ登る事はできましたが、下を見ると、「ひょえーっこっ恐い」これがその時の印象でした。そのため、自己確保をとるのもしどろもどろの手付きで、口を開けると「恐い 恐い」を連発していました。また、懸垂下降の初めの第一歩が一番恐かったです。 今行って見るとどうなんでしょうか?まだがたがた震えているかもしれません。 

2001年 6月2日 (蓬莱峡):初の屋外(自然)岩登り 交通:阪急宝塚→バス利用

1度目:とても緩い斜めの壁を確保しての登坂練習
2度目:岩を登って懸垂下降 ビレイも懸垂下降も道具の扱いにまだまだ不馴れで周りの方に聞きながらなんとか 降りて来れました。
3度目:お昼の後に 小さい壁(10メートル位)を登って懸垂下降 登るのに必死で上まで行っても岩の向こうの景色を見る余裕もありませんでした。

2001年 6月15日(河内長野 石川 上山谷):初の沢登り

河内長野から車で新関屋橋前の駐車場へ。さっそくお初の渓流シューズを履いてジャバジャバ川に入ります。沢に入る前に流れが早い時の対策として二人で渡る練習をしました。まだまだ、初めは水につかるのには抵抗が。。さあ、川を遡ります。ときどき足下が するっ として、徐々に水に浸かっていると濡れる事も気にせずに前の方についてゆきます。少し大きめの段差の時にはすぐにお助けロープのお世話になって、安心して登ることができました。初めての沢から見る景色は、新緑の隙間から木漏れ日が見え、なかなか綺麗でした。お昼に高塚さんから貰った なすスープ(う〜ん嬉しい)でちょっと暖まりましたが、昼御飯の後すぐはちょっとひんやりしました。時期が早めで、その上当日の前2日間は天候が優れず水量も多かったようでした。 最後の感想には『次にはクライミングの練習をして、楽しめるよう頑張りたいなあ。』としておりました。角谷さん、琴浦さん、島田さん、御一緒して頂いた方々どうもありがとうございました。 


高天原温泉、水晶岳、野口五郎岳、烏帽子岳   河本 佳夫(単独行)
■コース:    折立〜太郎兵衛平〜薬師沢〜高天原〜岩苔乗越〜水晶〜野口五郎〜烏帽子〜七倉
■登山日:    2001.8.11(土)〜8.17(金)
■天  候:    8/12(雨)、13〜17(晴)、8/14・15夕立

8/11、23時26分大阪発急行「きたぐに」で出発、8/12、4時28分富山着。バスの予約は第2便だったが、何とか第1便に乗ることができ7時25分折立着。あいにくの雨、雨具を着て7時43分出発。9時18分三角点、12時20分に太郎平小屋に到着。太郎平は人で一杯なので薬師沢まで行くことにしたが、木道で滑って2回転倒。しかし木道には数ヶ所にベンチもありお花畑が実にきれいだ。ついつい休憩時間が長くなってしまう。薬師沢小屋に15時35分着。シーズンなのでここも大変な混雑ぶりで、1畳2人は仕方ない。

*8/13(月)

前日の雨はすっかり上がり快晴。小屋の人に聞くと薬師沢の水が引いているので大丈夫ということで、大東新道を行く。5時20分出発、A沢に約1時間で着く。B沢までは河原を行くが実に美しい沢だ。B沢を登って行くが沢から離れるのが惜しい。高天原峠(9:25着)を経て11時27分高天原山荘着。今回の山行の目的の一つが高天原温泉に入ること。小屋からは15分程度で、混浴と女性専用とがある。乳白色の湯で湯温も高い。落葉が浮いていることもなくきれいな露天風呂だ。石鹸も置いてあり頭を洗ってさっぱりする。ここは1日では来れない、やはり秘湯に値する山の湯だ。お花畑も見事でまた来てみたいと思う。なお、小屋は薬師沢と同様1畳2人の混雑ぶりだった。

*8/14(火)

小屋を4時55分に出発し岩苔乗越に7時24分着。黒部川の最初の一滴を見に行く。乗越から5分ばかり下ると左手に小さな沢が現れ、それを登っていくと岩の間からちょろちょろと流れているところがあった。どうやらこれが最初の一滴らしいとカメラにおさめる。感激。

空身で、鷲羽〜三俣山荘〜黒部源流まで降りて、また岩苔乗越まで上がり、水晶小屋に14時12分着。20分頃から夕立。それもかなり激しいものでやはり小屋には2時には入るべきと痛感。しかし、雨上がりの虹はすばらしかった。虹が上でつながったり、虹が二重にできるなど初めての体験。ここは、薬師や高天原以上の混雑ぶりでザックも小屋には持ち込めず外においてシートをかける。また自炊の場所がなく悪天候の日は素泊の人間にとってはつらい。

*8/15(水)

水晶をピストンして、小屋を6時50分出発。野口五郎に9時32分着、この山は遠くから見る方がいい。烏帽子小屋に13時14分着。この日も2時30分頃より夕立。ここは水が有料。夕立の雨水をポリタンで受けて1ャ程度の水は確保した。少し空いてきたか、初めて1人1畳。

*8/16(木)

烏帽子を空身でピストン。頂上近くは真新しい鎖がうってあった。

7時10分小屋を出発、ブナ立尾根を下山。10時19分高瀬ダム着。地図では4時間とあるが休憩を除くと歩行時間は2時間半程度か。歩いて七倉山荘へ、12時5分着。ダムからタクシーを利用する人が多いようだが、歩行時間は1時間15分程度(地図では2時間)。登山補導所の人に聞いたら、登りでも1時間半程度とのこと。

民宿七倉山荘でゆっくりする。ここは2回目だが、山小屋より安い。6畳の部屋で、新しいシーツのふとんでゆかたで各部屋にテレビがあって、山歩きの後としては極楽気分。1泊2食でビール大瓶を1本飲み温泉に入って8,250円は魅力的だ。宿泊客は、下山が私1人、これから登るのが1組3人の合計4人であった。

*8/17(金)

民宿よりタクシーで信濃大町駅へ(5,950円)。7時54分発あずさ54号、松本でしなの4号に乗り換え、名古屋で新幹線に乗り換えて、新大阪12時17分帰阪。


韓国・仁寿峰  黒田記代 (角谷、菊池、黒田)

 2001.9.21関空より仁川空港へ。19:40着。角谷さんと菊池さんは9/20入国。私はひとり遅れて夜のソウルへ。まず、仁川空港よりタクシーでトソンサへ。トソンサへ行けば角谷さんが迎えに来てくれているはず。入国審査が済んで、荷物をピックアップするやタクシー乗り場へ急ぐ。あらかじめ用意しておいたハングル語でトソンサと書いたメモを運転手に見せる。日本語・英語はほとんど通じない。英語はなかなか話せない。というより口に出てこない。日本人の悪い所(私だけ?)。周りの目が気になって、なかなか英語が口から出ない。周りに日本人がいない方がかえって話せたりなんかして。めちゃくちゃだけど。それはさておき、何とか行き先が分かってもらえたようで、ほっとする。まず空港からソウル市街へ。タクシーからの眺めにびっくり。なんとソウルは大きい街か。あかりあかりあかりの高層ビル群。たぶん住宅。はてることのない街のあかりの中の高速道路をタクシーが行く。やっと旧市街に入ったらしく、商店街の中の道を走り始めたと同時に車の渋滞にひっかかった。走っては止まり、走っては止まりの渋滞。待ち合わせ時間の21:30に間に合わないとあせるが、私にはなすすべもない。待ち合わせ時間が過ぎて、合えなかったら、角谷さんが小屋に引き上げてしまったら、私はどうなるの〜。
 私の運命はいかにと思っているうちに急にタクシーが左折したかと思うと、薄くらい道を走り出し、まもなく目的地トソンサに到着と運転手。タクシーが止まったら、ちょうど目の前に角谷さんの顔が見えて、あえた〜いてくれた〜菊池さんもいっしょ〜。これで私の運命も大丈夫。ひと安心。ここからヘッドランプを付けて、宿泊地の白雲山荘まで約1時間の山登り。22:30やっと小屋に着いた。とりあえず遅いので、就寝することに。
2001.9.21.
 6:30起床。7:00朝食。8:00出発。取り付き点まで30分。本日のルートはウジョンBルート。まずは大スラブから。小さなテラスまで1ピッチのスラブ登り。ずりずりしながらなんとかテラスまで。次はかなり大きなオアシステラスまで。これまたスラブの1ピッチ。少し傾斜がゆるやかになってきた。オアシステラスには木も草も生えていて、セルフビレーも取る必要もないほど。次の取り付き点まで歩いて行く。ここからいろんなコースの取り付き点に行くことが出来る所。本日のハイライトである40mもチムニーの下まで、1ピッチで行く。ザックをシュリンゲでハーネスにぶら下げて、チムニーを行く。手足、背中、お尻、体全体を使ってのチムニー登り。足と背中お尻で突っ張りながら、少しづつ、少しづつ、上へ上へと。ザックが重いとしんどいので、絶対重くしないこと。ザックの荷物は必要最小量にしなければ、自分が大変になるだけ。ゆっくり、あせらずがんばれば何とかなった。がんばるしかない。後は歩いて登り、たぬきの腹と言われる岩を登って山頂へ。ここで大休憩。次は2ピッチの懸垂下降。長い長い下降。1ピッチ目に長い長い空中懸垂あり。空中懸垂初体験。空中にぶら下がったら、イスに腰掛けてる状態で、ぐるぐる回転してもひたすらロープを出して下がるのみ。なされるままになされるしかない。途中のテラスは非常に小さいので、セルフビレーを取ったら、ロープにぶら下がっているしかない。テラスにいられるには2〜3人だけ。懸垂が終了したら、後は小屋まで一般道を歩いて下る。小屋に着いたら、小屋の前は大にぎわい。地元の登山者(クライミングでなく、歩いて登山)でにぎわっていた。みんなおいしそうに食事をしている。私達も持って来た食料でお昼にする。
2001.9.23.
 本日のルートはインスAルート。昨日とは違うスタート地点からオアシステラスまで1ピッチ。斜めに走るクラック沿いに登り、後半はスラブを行く。スラブは、少しでも凹凸があれば、それを見つけて手がかり足がかりにする。クライミングシューズのフリクションを信じて登る。すべらなければラッキー。かな。きのうよりさらに右側の取り付き点まで移動し、ダブルクラック沿いに1ピッチ。これまた長い。かなり途中でずりずりしてしまった。かなり苦しい場面では、ロープを持ったり、ヌンチャクをつかんだりと、かなりずるをさせてもらいました。本番ルートでは何でもあり?とにかく少しでも早く登ることかな?角谷さん、そうですか?ちがいますか?どうですか。さらにクラックはつづく。チムニーまではいかない大きなクラック。手、足を広げて、つっぱりながら登る。体全体を使って登らなければならない。手と足だけでは登れない。つっぱれるところは何処でも使う。肩でも腰でも。最後は前日と同じ所に合流して山頂へ。ここで大休憩して、2ピッチの懸垂下降。
 翌日は朝の便でソウルをたつので、本日中にソウル市街に出なければならない。山荘に戻って、食事をとった後、荷つくりをして、トソンサまで下る。そこでタクシーを拾って、ソウルのホテルまで。この日泊まるのは韓式ホテル。白雲山荘のご主人に紹介してもらったホテル。宿泊費はものすごく安い。けど、、。角谷さんと菊池さんは二人一部屋でオンドル式。私は一人ベットの部屋。まあこれも経験でよいかも。ただ寝るだけならこれもよしかな。夕食は豪華に炭焼きカルビ焼肉。かなりおいしい。少し料金高めだったけれど、おいしくて、3人で5人前たいらげてしまいました。大満足。
 白雲山荘(小屋)は木造で、大変きれい。最近火事で焼けて、立て替えられたとのこと。食堂と宿泊場所は別棟になっていて、総板ばりなので、マットをひいてシュラフで寝る。食事はグループごとにセットされ、6〜8種類のおかずが小皿に盛られて出る。一皿に盛られているので、自分の好きな物を好きなだけ取って食べる。韓国家庭料理。キムチの中には辛いものもあったけど、あとは薄味。しょうゆをつけて食べる。日曜日ともなれば、地元の人がたくさん訪れ、インスボンの山全体に人がへばりついている感じ。あっちにもこっちにも人が岩にへばりついている。スケールが大きくて、スッキリしていて、気持ちが良い。数十mのスラブの後、数十mのクラックやチムニーが続く。岩が好きな人、フリークライミングが好きな人に絶対お勧め。初級の私にもチャレンジ出来るルートはあった。見るだけで、難しそうで恐いけど(ズリズリすべりそう)チャレンジしてみたくなるルートばかり。いろんなルートがいっぱいあるみたいです。難度はさまざま。がんばればズルズルしながらも登れた。途中何回もずるをさせてもらいました。大変だけど、楽しいクライミングでした。またもう一度チャレンジしていたいと思っています。
        


雪の富士登山      富川瑞穂
余裕を持って5月11日(金)からJR新富士駅近くのビジネスホテルに泊まって、12日(土)は駅改札口十時集合なので、ボンヤリ椅子に座って待っていると、黒田さんが「待ちくたびれた?」と言って先生と二人で北口の方から来られた。「他の人は?」と聞くと、今日は参加者はこの二人だけなのだ。山スキー大滑降組の方達は皆それぞれ事情があって来られなくなったとのこと。(富川さん)今日はいくらでも「しんどいから休んで下さい。」と言えるよと笑われた。「でも夕方までには着かないとね。」と先生が冗談を言われる。
 私は今左膝を痛めて鍼灸治療中。今日も膝に小さな針を打ってもらいテーピングして来ているのだ。静岡県は快晴で暑い。町で食料を少し買い足し、富士スカイラインを通って新五合目まで行く。両側の芽ぶいたばかりの若緑の木々が美しい。素晴らしいドライブだ。富士山は頂上は晴ているが中腹に薄っすらと雲が出ている。
 高度を上げて2400メートル富士の宮口新五合目に着いた時にはすっかり雲が出て下は何も見えない。木もまだ冬のはだかんぼうのままだ。そして冷たい。寒いので車の中で昼食を済ました。観光の為の様な自家用車が沢山駐車している。車から下りるともう目の前に富士山がせりあがっている。「うわーこんなすごい山に登るんだ!」ともう私の心は一寸心配になってしまう。
 今日私は七月にスイスのトレッキングと山に少し登るので、高度順化の為に来たのだ。6月にもう一度来る事になっている。去年剣岳に登る時買っておいて使わなかった圧縮酸素を30分ぶん持って来た。ハーネスやらアイゼンやらみず、かさの高いシュラフ一式やらでザックは14kgになってしまった。袋に下げてきたオーバーヤッケを着て出発。先生が地図を見て、新六合目と六合目迄は20分、20分、新七合目、七合目、八合目迄は40分、40分、40分と書いてある。と言われる。時計の高度計を地図の高度に合わせる。先生、私、黒田さんの順にゆっくりゆっくり登って行く。私はもう一寸登っただけではーはー息がしてくる。腹式呼吸を続けた。
 「あそこに小屋が見えるでしょう?」次はあそこまでと上を指して言われる。それがなかなかなのだ。上を見たらかえってがっかりするので、先生の足ばかり見て、雪を蹴り込みながら登ってゆく。「腰を伸ばして!前屈みになったら疲れますよ。」と言われてしまった。七合目に着いて、わーついた!と思ったら、まだ八合目が上にあるのだ。「八合目まで行きましょう。」と始めの予定通り八合目迄行く。七合目から八合目迄が一番くるしかった。「休んで下さい。」と言いたかったけれど、がんばって付いていった。所々土の所が在るが、大粒の茶色い砂地で大変歩きにくい。やっと八合目に着く。しっかりした避難小屋があり、幸い誰も使っていなかったので、今日の宿になった。せまいテントよりよっぽどいい。ちゃんと木の床があって三人がマットをひいたら丁度良いきっちりの広さで、ザックも置ける。
 お私はくたくたに疲れたけれど、黒田さんははーはもしなかったし一滴も水を飲まなかったと言われる。私の速度に合わしてもらった分、黒田さんは楽々登山だった訳だ。明るい内に夕食を済ましたけれど、私はあんまり沢山食べられなかった。しかし水分は十分摂った。
 夜になり窓から見ると、下の町の灯が素晴らしく美しくいろんな色にまたたいている。下界の車の音が3250メートルの山の所まで、うーうーと人の歌声の様に聞こえて来る。空は晴れて星が大きく輝いている。いつになくおしゃべりをして、八時頃シュラフにもぐった。明日は三時半起床なのだ。
 13日は素晴らしい青空雲一つない。頂上まで二時間で往復出来るとのこと。昨日迄私はもし下山の時足が痛くなったら、迷惑を掛けるから、八合目で待っていますと言おうかと、本気で思ったけれど、朝起きたらそんな考えは吹っ飛んでしまった。黒田さんが生のおうどんを持って来られて、おあげや乾燥ねぎも入れて食べた。出発は五時過ぎになった。今日はアイゼンを着けて行く。
 素晴らしいお天気と風の無い、最高のコンデションのなか、又フーハーフーハーいいながら登る。やはり八合目より下は厚い雲海でそれも素晴らしい美しい眺めだ。去年と今年何回か雪山に登ったけれどこんな穏やかなお天気の登山なんて初めてだ。雪が有るけど春なんだ。「八合目迄登っておいたから楽ですね。これで風がきつかったら大変ですよ。」と言われる。強風なら登れないのだろう。恵まれたなーと思う。浅間大社にわー着いた!と思ったら、まだあの上の富士山測候所まで行くのだ。私は直もうここでいいと弱気を出してしまう。しかし真っ白な測候所のドームが輝いている。よく見ると一人の人が、鉄塔の上に登っている。「一番乗りとちごた。」と一寸残念がる先生。大社から測候所までは歩きやすかった。測候所からは富士山の火口が見えた。「おはちまわりする?」と先生が黒田さんにきかれるが、私はそんな気力は無い。「富士山最高点」の石柱の前で先生と感激の握手をする。私は富士山なんてあきらめていた。高いし夏は人が山ほど登るしトイレが汚くて、それで富士山を汚していると聞いていたので、登りたく無かったのだ。しかし先生のお陰で登れた。嬉しい。3770メートル、高度障害も出なかった。記念写真も撮ってもらった。
 心配した下山でも、足は痛くならなかった。よかった。痛くなったらもう登山は駄目の方向だと思って心配したけれど、八合目から頂上へ登る時も、先生が必要な荷物を持って下さり、私は空身で登り、下山時も重い物は皆ご自分のザックの中へ入れていただいたので、私のザックは大分軽くなった。滑れる所はシリセードで滑り下り、私の足が楽になる様、色々心配して戴き申し訳ない。八合目あたりからスキーをかついだ人が、ゆっくりゆっくり登って来るのに出会う様になった。濃い霧で視界の悪い中、七合目で中年男性が走りよって来て、足を捻挫して一歩も動けない者が居るので、下の人に知らしてほしいと言われる。先生はすぐに「送って上げましょう。」と言って足首がぱんぱんに腫れ上がった中年女性を負ぶわれる。オーバーヤッケをネンネコのようにうしろにあて、ロープとカラビナを操作して、怪我人が痛くないよう、ご自分が少しでも背負いやすいようにセットされる。「さすが先生!」この方はフランスの国立登山学校のライセンスを持っておられるし、文部科学省の登山研究所の講師なのよ。とその人達に、言ってあげたかったけれど、そこまで喋るような機会に全然ならなかったのが残念だった。一時霧が晴れて、下の山小屋が見えたが、また直ぐに白い霧に閉ざされた。先生は黒田さんに私のハーネスにシュリンゲをつけて手に持たされた。左へ行ったら宝永山の方だから気を付けるようにとか、もうすぐ右の方に小屋が見えるはずだ等と、人をおんぶしながらも立ち止まって、私たちが来るのを間って注意される。霧があって数十メートル四方位しか見えないので、私たちだけだったら危ないのだ。アイゼンを外し私たちが夏道のロープを頼りに下り、新7合目で休憩して少し歩いたら、先生が私たちを迎えに登ってこられた。怪我人は直ぐ病院へ行かれたとのこと。そして予定どうりお昼に下山できた。良かった。森の中の豪華な温泉で疲れをいやした。温泉のしゃれた建物の後ろには、今登ってきた富士山の秀峰が間近に迫って見えた。感激の富士登山だった。先生に感謝。黒田さんにもいっぱい助けていただいて本当に有り難う。

八ヶ岳山行     豊島 理子 

私は、いつか冬季の八ヶ岳に挑戦してみようと考えていましたが、今回その機会に恵まれ2月10日から12日までの山行に参加しました。
第一日目
 美濃口から赤岳鉱泉まで、トレースのついた道を軽快に歩いていきました。さすがに、冬山の初心者向けのコースだけあり、登山者が大勢歩いていきます。風も無く、冬山の厳しさを微塵も感じさせない気持ち良さです。さて、今回、宿泊する赤岳鉱泉の小屋には鉱泉という名前からすると温泉が有り、 山小屋にしては珍しく、お風呂に入ることが出来ると思っておりました。めったに担がない60L(Weight 14kg)のザックの中には、お風呂セットもしっかり入っておりました。しかし、角谷さんから、“冬季はお風呂有りませんの”お言葉。 ちょっと、いや、かなりへこみました。 気を取りなおして、歩くこと約3時間強、小屋に到着、明日の赤岳登頂の事も有り、早々にやすみました。
第ニ日目
 いよいよ、赤岳登頂です。行者小屋から、文三郎道を通り、赤岳へ登ります。鎖、はしごが有るルートです。アイゼンをつけて、はしごを上り下りするのは、初めての経験でしたので、緊張で、身体が硬くなりました。ハーネスをつけ、ヒルドイド軟膏をたっぷり塗り、目出帽をかぶり、いよいよ出発です。(相変わらず玄関は、出発が、一時になるのでごったがえっていました。)途中、行者小屋にて大休止をし、(赤岳の頂上は風が強く、雪が舞上がっているのが見えます。) いよいよ核心部へ向かいます。
 文三郎道の手前で、角谷さんが、ザイルを繋いでくれました。これも、初めての経験なので、歩くペースがつかめません。ザイルは一定のテンションが、かかっていないといけないのですが、どうしても下についてしまうのです。(いけないことですが、踏んでいた場合もありました。)景色は、風が強まり、鎖が現れ(私、鎖を持って直登と思っていたので助かりました。)要所で角谷さんの声が聞こえ、それが、自分の注意力を高めて生きます。心配していたハシゴも、よっこらしょっと登り(これは、下山するとき 難儀するかも。とおもったのですが。)赤岳の頂上に到着したのでした。
 しかし、まったく見えない、寒い、めっちゃたくさんの人が居てる。感動もそこそこに、一瞬で写真を写し、もと来た文三郎道を下ります。しょっぱなが、ハシゴ、アイゼンが岩にあたって、いやな音を立てます。が、本当なら、くだりが怖くて苦手な私も、ザイルが、私の身体を吊り上げてくれているので怖くない。これなら、ちょっと大胆に歩いても大丈夫。登りの時は、とてもうっとしかったザイルでしたが、くだりの時は、ほんと優れものです。
 下山は、天候が荒れ、風が、吹き上げてきます。メガネをしているので、レンズに、雪がこびりつき、かすみの中を歩いているようです。何回も何回も、こけました。 吹き付ける雪で、顔は痛いし、鼻水は出るし、しまいには、満足に歩け無いことに腹が立ってきて、悲しくなってくる始末。 途中、鎖場で、登りのパーティーとすれ違ったのですが、一時は、にっちもさっちもいかない状況で,(どないしたらエーねん状態)しばらく、(吹雪かれる中を)固まっていました。このときは、つらかったです。(ほんと、雪山の、厳しさをちょっと感じました。)でも、角谷さんは、下山中も、休止できるところでは、パーティーみんなの状態を見て回っていらっしゃったおかげで、凍傷にならずに助かったと、思っています。
 文三郎道を越えると、天候も治まり、無事、行者小屋に到着、振り返るとさっき登った、赤岳が、雪を巻き上げて霞んで見えます。「登ってきたんやな。」としみじみ。
 途中、ビーコンを実際雪に埋めて、探すトレーニングを行いました。 皆さん、なれてらして、すぐに場所を見つけることが出来ました。 でも、やっぱり、掘るのにおもっているより時間が、かかる。 15分以内に見つければ生存率が、高いとの事なので、心してほらなければ。鉱泉小屋はもうすぐ。今夜は赤岳登頂のお祝いに我慢していたワインを飲まなくっちゃ。
第三日
 今日は、最終日、硫黄岳登頂です。昨晩雪が、降った様です。 樹林帯の中を歩いていると、すべての枝にえびの尻尾が育っています。また、風も感じず快適です。 赤岩の頭で、小休止し、(ちょっと風が、出てきて寒い)稜線伝いに、硫黄岳を目指しました。途中ちょっと怖いところも有りましたが、ガッツで越えて、頂上到着。 昨日とは、違って360度見渡せます。北アルプス、中央アルプス、大キレット、感動、 写真をパチリ。
 昨日と大違いで、帰るのが勿体無い。 (もちろん、ちょっと寒いけれど。)しかし、帰らないわけにはいかない。 帰りも、もちろん楽しく下山しました。鉱泉小屋で、身支度を整え、美濃口ヘ向かいました。
今回、1)赤岳の下山途中で、アイゼンを引っ掛けて思いっきり転びました。
      硫黄岳の下山途中でも、転んでしまいました。 
    2)アイゼンをつけるのに時間がかかり、付け方が悪かった。 
    3)ゴーグルのつけ方を、工夫する。
     の、3点を次回の課題として直していきます。
角谷さんを含め、パーティーの皆様、楽しい山行ありがとうございました。これからも、色々な山行に、チャレンジしましょうね。よろしくね。


石鎚山・山行記録   黒田記代   2001.1.27(土)〜1.28(日)

 1/27(土)7:00大阪駅に集合して、金森さんの車で出発。明石大橋を渡り、淡路島〜鳴門大橋〜四国徳島へ。徳島道〜松山道と高速を乗り継いで石鎚山登山口 ロープウエイ下へ。約4時間のドライブ。なんと早く行けることか。明石大橋を渡るのは今回が初めてで、淡路島はなんと大きいことか。左右の景色が単調なこともあって、少しうんざりするほど。金森さん運転お疲れさまでした。
 ロープウエイに乗り成就へ。本日のお宿である日ノ出屋へ直行。ロープウエイに乗るまでは雪の気配はなく、石鎚山は雪山なの?と疑いたくなるほどでしたが、ロープウエイで高度を上げるにしたがい、雪景色に変化していき、終着駅の成就に着く頃には紛れもない雪山。このギャップのは驚かされました。
 早く宿に着いたので、まず明日の下見を兼ねて1時間ほど散策に。夕食まで時間がたっぷりあるのでお酒を飲む人、お茶を飲む人、ゆっくり歓談。やっと5時が過ぎたので、お風呂に入れていただき(ありがたい)夕食。これまたたくさんのおかずが食卓に並び、全部食べるのは至難のわざ。食事が終わっても就寝時間まで時間が有りすぎるほどで、宿のおかあさんも混じってよもやま話。そうこうしていると、外にはタヌキやイタチもやってくるありさま。やっと9時になったので、寝ることに。宿のおかあさんの暖かい心づかいの豆たんのあんかが入っているあったかいふとんにもぐり込むや、屋根裏ではイタチの運動会。朝5時まで暖かいふとんの中でぐっすり眠れました。(しあわせ)
 1/28(日)5時起床。5:30朝食。ハーネスも着け身支度を整え、ヘッドランプをつけていざ出発。6:30。途中まではアイゼンなしでの歩行。夕べ少し雪が降って、昨日下見に出た時より歩きやすくなっていました。
 前社森下よりいよいよジグザクの登りに。アイゼンを着ける。夜明峠から前方奥に石鎚主峰を望むことが出来るのだが、この日は朝から小雪のちらつく悪天候で、視界がなく、ただまっ白で何も見えず。天気予報はよい天気のはずなのに、、、、、、
 やがて一の鎖の岩場を右から巻いて上部に出る。積雪がしだいに増し、二の鎖下に。ここも右から巻いて高度をかせぐと三の鎖下に。さらに次なる巻き道にも右から取りつくが、壁面からつねに雪がなだれ落ちており、足場がくずれやすい不安定な岩棚のルートのため、アンザイレンし、角谷さんを先頭にコンティニュアンス登はんで通過し、稜線に出る。左に折れるとまもなく弥山山頂に到着。眼前に天狗岳の岩峰がかすかに見える。
 すこし休憩してから、再びアンザイレンして弥山山頂を少し下り、天狗岳山頂を目指したのだが、山頂より5m手前の岩場で登頂を断念。岩場が氷りつき、危険と判断。再び弥山山頂に引き返し、記念撮影をして下山。帰路も悪場の下りで滑落しないようアンザイレンして、今度は角谷さんが最後尾で、細心の注意をはらって下山した。
 ほぼ終日小雪まざりの悪天候だったのに、あと1ピッチの所から晴れ間がのぞまれ、成就に到着した時にはいいお天気となり、登頂出来た喜びとともに、心晴れ晴れとして大阪に向かった。


燕岳山行 山行記録   泉誠郎
 12月29日朝、宿を出ると薄っすらと雪が道路を覆っている。 昨夜から降っていた雪は、今はやんでいる。 朝7:00に集合場所の穂高駅に到着。 駅舎には角谷さんと、今回同行される高山さんと森本さんの女性2人が既に待っておられた。 簡単にあいさつを済ませた後、角谷さんの車で宮城(みやしろ)のゲートまで移動。 雪道になっているため車をゆっくりと進め、約30分後にゲート前に到着。
 冬季はここから先に車が入れないため、中房温泉までの約12キロの道のりを歩かなければならない。 準備体操と装備の最終点検をして、とりあえず出発。 今日の行程は、この道の終点の中房温泉まで。 順調に行けば約5時間の道程で、お昼過ぎには着くだろう。 道は所々アイスバーンになっており、凍っている所を避けながら進んで行く。 道は大半が緩やかな登りで、宮城のゲートから中房温泉まで約700mの高度差がある。 ちょっとしたハイキングをしているようなものなのだが、雪がある分余計な神経を使っているのか、少し疲れる。 道端には所々、中房温泉までの距離表示があり、なかなか数字が減らないのに気分が滅入ってしまいそうになる。 途中何度か休憩をはさみ、また雪崩ビーコンの操作のトレーニングなどをしながら、昼1:00過ぎに中房温泉に無事到着。 到着後は、冷えた体を温めに温泉に入ったり、コタツに入って昼寝をしたりして、明日に備えてのんびりと過ごした。 (と、言うよりも、周りに何も無いので他にする事が無かった。)
 翌12月30日、天気はまずまず。 朝7:20中房温泉を出発。 少し行った所から合戦尾根の急登が始まる。 この時期登山客が多いためかトレースはしっかりしており、雪を踏みしめながら一定のペースで登って行く。 約30分程で第1ベンチに到着。 とりあえずザックを下ろして休憩。 ここからは急登の連続となる。 雪で真っ白になったモノトーンの景色の中をただひたすら登っていく。時々、木の枝の間から常念山脈の真っ白な美しい稜線が見え声を上げる。 10:30頃ほとんど雪に埋もれた富士見ベンチに到着。 ザックを下ろし南の方角に目をやると、薄っすらと紫色に霞掛かった富士山が浮かんでいるように見え、しばしその景色に見とれる。 雪に埋もれ上半分だけ顔を出していた合戦小屋を通り、森林限界を抜けたあたりから、左手の方角から岩の先端のようなものが見えてきた。 何だろうと思って見ていると、「槍だ〜っ!」と角谷さんの声。 全員立ち止まり、他のパーティの人たちと共に記念撮影。 合戦沢ノ頭に出ると燕山荘が真正面に見え、右手の方に目をやると真っ白に雪化粧をした鹿島槍が目に飛び込んできた。 最後の難関である山荘直下の急斜面を直登し稜線に出る。 その瞬間、台風並みの強烈な風が吹き付けてきた。 やはり稜線は風が強い。 目の前には槍・穂高、後立山連峰から立山・剱の山々が、振り返ると八ヶ岳や安曇野の平野が一望のもとに見渡せる。 「これだから山はやめられない」と至福の思いを巡らせつつ、無事13:00過ぎに燕山荘に到着。
  休憩をたっぷりと取り、身支度を整え燕岳へと向かう。 とにかく風が強い。 歩いていると時々体が持って行かれそうになるほどの突風が叩きつけてくる。 踏ん張っていると風が急に止み、今度はバランスを崩し反対側に体が倒れる。 そんな時は立ち止まっているのが一番と、時々立ち止まりながら進んでいく。 花崗岩の奇岩の間をゆっくりと進み、燕岳の山頂に到着。 簡単に記念撮影だけ済ませ、来た道を戻る。 途中、穂高のほうに目をやると山の上にレンズ雲が掛かっていた。 明日は天気が崩れると予感しながら、15:20燕山荘に到着。 山荘では、ストーブを囲んでのまさしく井戸端会議に花を咲かせ楽しく時を過ごす。
 12月31日、7:00過ぎに燕山荘を出発。 空は一面どんよりと曇っており、槍の穂先にも雲が掛かっている。 風は相変わらず強い。 山荘の裏手に廻った所で、常念岳や穂高連峰にレンズを向けたアマチュアカメラマンのおじさん達が、一瞬の晴れ間を期待して山荘を背にじっとしていた。この天気ではあまり期待できないのではと思いながら、急斜面の道をアイゼンを効かせながら下って行く。 突風が吹くたびに立ち止まりながら、一気に合戦小屋まで降りる。 ここまで来ると風は無くなったが、今度は雪がちらついてきた。 下の天気を気にしながら順調に下って行く。 11:00前に登山口に到着。 ここから宮城のゲートまでの長〜い道程が始まる。 みんな話しの持ちネタが無いため、ほとんど無言で歩く。 時々あまりの静けさに耐え切れなくなった角谷さんが「何か面白い話しない?」と振ってくるのだが、10分も経つともとの静けさに戻ってしまった。 そんなことを繰り返しつつ、みんないいかげん疲れてきた時に突然目の前にゲートが登場。 今回の山行の終着点となった。 全員お互いに握手を交わし、それぞれの無事を家族や知人に連絡しその場を後にした。


2000年 屋久島にて 菊地 哲雄

 9月20日〜23日の4日間。目標は、宮之浦岳縦走。メンバーは、角谷先生、森本さん、菅又さん、富川さん、わたくしの5名でした。山行予定はというと、
 1日目 屋久島空港、淀川登山口〜淀川小屋宿泊
 2日目 小屋〜宮之浦岳〜新高塚小屋宿泊
 3日目 小屋〜縄文杉、ウィルソン株、小杉軌道〜尾之間国民宿舎
 4日目 モッチョム岳登山(実際は、ヤクスギランド〜太忠岳) です。
1日目。屋久島空港に着いて早々、お昼ごはん。先生は、機内持ち込み禁止でみんなが置いてったガスボンベを空港からゲット。タクシーで淀川登山口に向かいました。さあ、出発!と思いましたが、先生、タクシーにマットと食糧を忘れてしまいました(先生は、しゃべりすぎのタクシーの運ちゃんのせいにしてました。)。タクシー会社にケータイで連絡をとろうとしましたが、電波の入りが悪く、ダメ。そいで、通り掛かりのにいちゃんにタクシー会社に言づてを頼みました。でも、忘れ物のことは、あきらめて出発しました。この日は、淀川小屋にて宿泊。無人小屋ですが、思っていたよりきれいでしたかね、みなさん?(そう思ってるのわたしだけですかね。)。無人小屋泊は、自分にとってこれが初めてでした。確か、この晩は、宿泊者のラジオからサッカー中継が聞こえていたと思います。それを聞き終わった後で眠りに落ちました。
 2日目。朝早く?(5時ごろ)起きて、朝ごはん。わたくし、こんなに早く起きるのに、慣れてないので大変でした。どうも昨晩は小屋内をねずみが走りまわってたみたいでしたが、先生がねずみに持っていかれないようにしていたので、朝ごはんはちゃんと食べれました。この2日目が山頂まで行く上に、今回の縦走で歩行時間が長いのですが、外はあいにく雨。でも、暗いうちから、スタート。9月の屋久島といっても、この日は肌寒かったです。雨は降りっぱなしなので、花之江河から石塚小屋で休むことに。休んで待っていても、雨があがるようでもないので、結局ここで停滞しました。こうなるとヒマですよね。停滞の時はどうして過ごしたらいいんでしょうね?でも、雨の中、歩くよりはいいですかね。靴はビチョビチョだし、コースタイムより長い時間歩っているような感じするし(っていうか、昭文社の地図のコースタイムがかなりはやいとおもうのですが。)。仕方なく、昼ご飯、晩ご飯を食べて、おなかいっぱいになって寝ちゃいました。この石塚小屋はブロックでできていて、ジメジメっとした感じでした。
 3日目。昨日登れなかった宮之浦岳へ。宮之浦岳に登った後、来た道をもどる予定で。天気は、晴れ時々曇りという具合だった思います。順調にコースを踏破して目標の頂上へ。記念撮影をして、下山後のタクシーの手配をケータイでして、下山です。この日は天気もよくて、花之江河もちゃんと見れました(昨日は雨の中で見てるんですけど。)。淀川登山口に着いたら、あとはもうタクシーに乗って、尾之間国民宿舎に行って、温泉入って、ウダウダして、ビール飲んで、それからそれから・・・。(4日目の太忠岳はアルコールが残っていて、つらかった。)以上です。屋久島は本当に水の豊富なところでした。


剣岳登山           富川 瑞穂

7月の赤岳、硫黄岳登山で、日本アルプスの素晴らしさにすっかり参ってしまった私は、「私でも行けるでしょうか?」 ともう行きたい気持ち一杯の私の質問に対して、「行けますよ。」という先生の簡単なお返事をいただいて、8月17日〜19日の剣岳登山を申し込みました。すぐ地図と昭文社の「北アルプスを登る」と山と渓谷社の「立山、剣、雲の平」の本を買いました。剣岳は一般ルートでは一番難しい山であると書いてあります。登りのカニの縦バイ、下りのカニの横バイという危ないところが、写真入りで載っており、その岩にどのようにして取り付くかまで書いてありましたので、何度も読みました。そして赤岳登山のときは軽い高山病になり、山小屋においてあったボンベから酸素を15分ほど吸って治ったことがありましたので、圧縮酸素も買いました。また8月は他の山に行く機会がありませんでしたので、少しでも体をしゃんとしておこうと思って、登山の少し前から毎日プールに泳ぎに行きました。日程は17日からですが、私だけ余裕を持って16日から室堂のロッジ立山連峰に泊まりました。
 17日は室堂でもう一人の参加者の若い森本さんと落ち合い、立山三山から登り始めました。3000メートル級の高山だというのに、道には石が敷きつめられ、歩きやすくしてあります。老若男女、親におんぶされた幼児まで登っているなかなかの賑わいですが、上に行くほど大きな石がごろごろした急登になりました。高山植物もいろいろ咲いていて、素晴らしい景色です。雄山神社ではたくさんの人がお参りして、ここから引き返されるようで、そこからぐっと人が減りました。そして2晩の宿になる剣沢小屋に2時ごろに着きました。高山病の兆候は少しも現れず、結局圧縮酸素は使わずにすみました。お盆休みを過ぎたせいか、小屋は人で一杯ということはなく、私たち3人で1部屋が取れました。剣沢小屋はとてもアットホームで親切な小屋です。        18日はいよいよ剣岳登山です。ここ数日午後から雷が鳴っているとのことで、1時ごろには帰ってこられるように、4時過ぎにヘッドランプをつけて出発しました。荷物は小屋に置き、朝食と雨具、飲み物等々少しのものだけを背負いました。
ここから詳しく書きたいところですが、次にどこに足を置くのかと、先生の足元ばかり見て夢中だったのでしょうあまり覚えていません。「ヘッドランプを消して。」という先生の言葉でようやく明るくなってきたのが分かりました。今年は山に雨が少なかったので、いつもは消えている雪渓があちこちに残っていて、滑らないようにおっかなびっくりで歩きましたが、ただまっすぐに横切るだけなので、先生の踏みあとを踏んで歩いたら、そんなに怖がらなくてもよいのです。雪渓の一番端の黒く半透明のところは氷ですから滑りますとちゃんと教えて頂きました。ふうふう言いながら登っていて、ふと目の前を見ると岩の間から岩ぎきょうが紫の可憐な花を咲かせて元気付けてくれました。
 一服剣で休んで朝食のパンなどを食べて水分もとりました。いよいよ難関のカニの縦バイにさしかかりました。正面には岩に取り付いている人が小さく見えています。私も森本さんもハーネスをつけて、先生のロープにつながっています。この時になると本を読んだということすらすっかり忘れて、どうして最初の足を出したかも思い出せません。最後のところにきて、右足をボルトに乗せると、とても上に這い上がれないので、「どうしたらいいの?」と呟くと、誰か上にいた男の人が左、左といってくださり、左下を見るとそこにちゃんと、もう1本ボルトがあったのでそこに左足を乗せ、後はどうしたのか、先生に強くロープを引っ張られ這い上がりました。そのあと少し岩を登るともうそこは頂上でした。バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!頂上でお社を背にして3人でカメラに収まりました。
 下りのカニの横バイはやはり本に書いてあったとおり、最初の1歩の足がかりが上からは見えません。先生は「そこですよ。」などと他の人にも教えてあげ、私も先生の言われるとおりに足を下ろして、岩の上に立つことができました。下は千尋の谷ですが、前の岩壁と自分の足がかりばかり見ていたので、怖いと思う暇も余裕もありませんでした。ハーネスで確保してもらっているので安心して行動できたのです。その代わり私のような未熟なものをガイドする先生の気苦労は大きかったと思い感謝で一杯です。登りも下りもゆっくり休憩を取っていただきその間に高山植物の写真も撮れました。
 昔からの夢だった高山の花々にもたくさん会えて本当にうれしいでした。残雪が多かったので、花の咲くのが一時になっていつもより数多くの花が見られるとのことでした。ミヤマキンバイ、チングルマ、車百合、投薬りんどう、岩鏡、白山とりかぶと、岩ぎきょう、など等、みな澄んだ空気と、青い青い空を背景に美しく咲いていました。
 日本アルプスの別天地のような透明感のある美しさにまたまた参ってしまいました。「高山の魅力に取り付かれたなー。」と友達に言われたとおりです。剣沢小屋に2時ごろ帰り着き、また改めて剣岳の威容をバックに3人で記念写真を撮りました。
 3日目は大日岳に中途までのぼり、姿は見えない雷鳥のおかしな鳴き声だけを聞いて、晴天にも恵まれた素晴らしい登山を終えました。数ヶ月前まで私が日本アルプスに登れるなんて、頭から諦めていましたのに、それを実現させていただいた先生には感謝、感謝です。ありがとうございました。


2000年夏プラン 燕岳〜北鎌尾根〜槍が岳            鈴木 淑子

 8月10日夜9時45分大阪発「ちくま」という夜行列車に乗る。途中、塩尻で乗り換え、穂高駅に向かう。穂高駅朝5時15分集合というのが今回の山行の始まり。予定通りに目的の駅でメンバーが揃った。今日の予定は、登山口の中房温泉で朝食を済ませたら、一気に燕岳を越えて大天井ヒユツテまで行ってしまうという結構ハードなスケジュールとなる。
 中房温泉に行けば、何か朝食にありつけるかもしれないと云うことで、まずは先生と生徒4人、一緒にタクシーに乗り込んで中房温泉へと向かった。
 ここでメンバーの紹介をしよう。
角谷先生 ご存じ世界に名を馳せるスーパーガイド。今回は難易度の高い山行になるため、登はんの為のロープがザックに詰め込んであり、我々のザツクよりは4〜5キログラムは重い装備を軽々と担いでのいつものいでたち。

山岸氏 今回のパーティでの最高齢者。しかし、いつ会っても丸い目をクルクルさせて万年青年の感あり。とても優しいお兄さん。

銘木嬢 次に年を取っているのが、何を隠そう私。一応女の格好はしているが、自分の中では性別不明。いつも元気印のオバサン。

沢地氏 ビールパワーで動く名実ともに働き盛りの紳士。到着した先々の小屋では概ねビールパワーを注入し、いつもファイト一杯なオジサン。

青池氏 角谷先生とは同じ大学の先輩に当たる。スラリツと足が長くてセンスが良く、まるでモデルのよう。足の長さ・背の高さは先生といい勝負。リュックから出される物もとても整理されていてきれい好き。山を歩くより舞台を歩いている方が似合ぅのではないかと思うほどの垢抜けした紳士。しかし、前日までの風邪がたたつて絶不調。「みなさんにご迷惑をおかけするかもしれません」と心細げであつた。「な−に、大丈夫よ。山の霊気が直してくれるから」とは元気印の私。座って喋っているときは、一番威勢がよいのである。
 この四人が角谷先生の案内で一緒に歩くことになるのであるが、今振り返ってみれば、全員怖い物知らずの登りたがり屋。今後に待ち受ける困難が覚悟しているものより数倍上とは知る由もない。な−に何とかやれるだろう。先生がついているのだからと、いつもの楽観主義で互いに挨拶を交わしたのであつた。
 私がつけた四人のグループ名は「めでたい登りたがり屋四銃士」 乞う健闘!

8月11日、中房温泉での朝食は当てが外れて、結局全員が持参の保存食を頬張る。お天気は上々、登山口の案内板には標高1462米と書いてある。一昨夜、パワー全開で踊った伊丹市民盆踊りの後遺症がたたって、腰・太股・足首には明らかに疲労が残っている。おまけに背中には十五キログラムのリュック。山項で食べればおいしいかと余分に入れたオレンジやおやつが、私の肩を痛めつける。「大丈夫さ、何とか持ち上げられる」とは思うけれど、私の足の重さにすでに気がついておられる先生、途中の休憩所第二ベンチで「鈴木さん今日はちょつとお疲れかな?」と見抜かれてしまった。
 合戦小屋での一切れ二百円のスイカのおいしかったこと、だけど、流れ落ちる汗で、スイカの恩恵も十分とは持たないであろう。肩の荷が重いT見かねて山岸のお兄さんがリュックを交代してくれた。クワアー軽い!5キログラム違えばまるで担いでないような感じになる。私の今回の荷造りは明らかに失敗だ。バカタレッ淑子! と自分の欲張りな行為を責め続けながらもついに燕山荘到着(標高2704米)。
 朝日を浴びて咲く高山植物が「よく来たね。いらつしやい」って言ってくれているようで苦しかつた登りも慰められる。全パノラマの林岳、遠くに明日アタックする槍ガ岳の尖峰が見える。遠いなあ、、、行き着けるかしらと不安がよぎる。昼食をすませ、再び自分のリュックを返してもらって担ぎ、次の目的地大天井ヒユッテに向かう。
 稜線とはいえ、登ったり下ったり、ザラザラと足湯の悪い山肌は踏ん張りが効かなくて足が疲れる。しかし、そういう所には何とコマクサがピンクの花房を揺らして待つていてくれる。健気に咲く山の花々は、萎えてしまいそうな気分をずいぶんと助けてくれる。休憩の際、時々姿が見えなくなる青池氏は多分用足しだろう。しんどそうだ。しかし、泣き言も言わず、しつかり歩いている。私も頑張らなくつちやと自分を励ます。
 いくつものピークを越えた。次のピークを越えれば大天井ヒユッテの屋根が見えるか、次のコーナーを曲がればヒユッテが見えるかと、そればかり考えて疲れた足を前に出す。ょうやく、右下へ急傾斜したトラパース道の先に、ヒユッテの赤い屋根が見えた。あ−ようやく着いたと、安心と嬉しさとビールを飲める楽しみが、一気に疲れをとつてくれる。何カ所も危険なところがあつたが全員無事、身体を気遣う青池氏以外のメンバーは「乾杯−ことやって本日の山行は終わつた。結横しんどかつたけれど、実は明日が本番だ。気力・体力を充分に残しておかなければなるまい。明日は三時起床、三時三十分出発とのことでヘッドランプ山行となるので、私たちがビールを飲んでいる間に先生は明日に備えて分岐まで偵察に行かれた。
 夕食時にものすごい夕立。晴れてくれっ− 明日天気にな−れ! と思わずにいられない。雨音を子守歌に、早々と眠りについた。
 8月12日早朝3時30分、外に出てみれば満天の星。澄み切った空気の中、星のきらめきはほのかに地面を明るくさえしている。流れ星がスウーつと光の線を措いて何本も流れていく。「行き着けますように」と星に願いをかけるが、届いただろうか。ストレッチの後ヘッドランプをつけ、登りたがり屋四銃士は静かな出発をした。貧乏沢分岐、すぐに薮こぎが始まる。終わった所からいよいよ下りだ。足下のゴロタ石を這う低木。あたりは真っ暗なのでルートは先生のキャリアと勘が頼りだ。涸れ沢ではあるが、雨が降れば一気に川となる流路をヘッドランプだけを頼りに右に渡り左に渡り、一時も気はゆるめられない。集中した下りが延々と続いた。途中からは滝や水が出現し始めたので巻きながら下る。滑りそうなときは、手当たり次第に枝や草に頼まる。ある時はアザミの茎に掴まり噛みつかれてしまつた。しかし痛いのより足元をしつかりしなければいっぺんでゴロゴロと流されそうだ。半分位下つたところから空が白々と明るくなり、足元も全般が見えるようになつていくらか楽になつた。
 傾斜は30度もあろうか、2760米の大天井ヒユツテから一気に川底まで下降するのである。勿体ないの何のって。しかし、天井沢を渡らないと独標への道は開かないので文句を言っても始まらない。川底でようやく朝食。緊張が碑けた。見上げれば、いざ登らんとする右俣のゴロゴロ石の沢が急傾斜で立ちふさがつている。いったん貧乏沢を下り、また登り返すとは、槍が岳を二往復するに以たり。貧乏沢とはよく言ったものだ。血も涙もない。過酷な沢を通過しないと北鎌尾根には入らせてもらえないのだ。私の気分としては、貧乏沢を下りきつて、北鎌沢のコル方面を見上げたとき、観ね半分の気力は萎えていた。
「鈴木さん、荷物の中の重いものを私に下さい。持ちます」「いえ、結構です。頑張ります」「いえ、持ちます。これからの登りは背中が軽い方が絶対楽です」と妙に強い口調で先生は私のリュックから水やおやつ・シユリンゲ・カラビナ等を取り上げ、自分のザツクの中に詰め込んでしまつた。
 私は申し訳なさで一杯だった。いつもの山行だつたら、これくらいの辛さは我慢できる。しかし、今回は意地を張って我慢していたら、四銃士の目標達成が危ぶまれてくる。本当に申し訳なく思いつつも持っていただくことにした。、苦しく辛い登りだつた。「先生、ご褒美休憩はまだあ−」「まだまだ、あそこまでは登り切りましょう」「ええつ」「先生ご褒美休みは:…・」と休憩を要求するのは遠慮を知らない私。対面に聳えている稜線は、今自分が立っているところより目線の上にある。いつまで続くのだ、この苦しさは。死ぬかと思った沢登り、ようやくの思いで北鎌沢のコルに登り切った。ここで私の持参したオレンジがおいしかつた。すでに分配してあったのだが、苦しかつたのは私だけではない。沢を下り、沢を登り、ようやく一息着いてのオレンジだ。価値あるフルーツだつた。
 もうこれでビバークしてもいいくらいに体力を使っているが、これで全行程のようやく半分。これからが難所続きだ。独標はまだ姿さえ見せない。槍が岳の勇姿なんぞはもつての他、気合を入れ直して再び先生の後ろに続く。長い行程も対面の山の複線とほぼ同じくらい登って来たことが妙に嬉しい。
 槍を目指すルートは、岩に草が着いていたり、スラブの所だつたり、ハイマツの根が足揚を見えなくしていたりで、一時の油断もできない。独標付近では、アンザイレンで歩きにくいことこの上ない。疲れた身体には頭にくるほどの腹立たしさだ。しかし、このパーティの安全度を考えれば、先生としてはよく承知している方法を採られているのだろう。ピークを巻くたびに変わる奇異な尾根の風景。カモシカ一匹がようやく通れるような細い獣道を、一人づつ慎重に岩にしがみついての歩行。疲れた・重いって言っていられない厳しく危険いっぱいのルートが、前にも後にも続いている。おなかが空いた。川底で食べた朝食も、洛びるように飲み続けている水も、全部汗となって消える。もうここあたりで一休みして「昼食にしましょう」と先生の口から出るかと待っているが、いつこうに先生はお昼の指示をされない。
 たまりかねたのか、「先生、昼食はまだですか。腹へりました」とビールパワーの沢地さんが後方から声を上げた。「昼食は特別にはありませんよ。休憩の時に勝手に補給して下さい」とのこと。全員そんな筈ではなかっただけにガックリとくる。槍の下に明るい内に到着しないと今回の山行は失敗になつてしまうスケジュールであるから、タイムリミットは重要なポイントだ。ゆっくり昼食などとは言っていられない。少しでも歩きやすい道になればドンドン歩くことになる。
 独標をいつの間にか通過してしまつていた。もうこのあたりは高山植物さえ着かない荒々しい岩稜地帯だ。背中のリュックも身体の一部として頭に入れておかないと、オーバーハングしている岩の角にぶつけてバランスを崩そうものなら千尋の谷へ真っ逆様だ。今までだつて泣きそうになるくらい難所が出現した。これから先もまだまだ待ち構えていそうだ。ともすれば萎えそうになる自分を励ましつつ、次のピークへの急坂に挑戦することになる。
 こんなにも厳しい縦走とは知らずに飛びついてしまつた。私には荷の重すぎる山行だ。情けなや!。「もう少しやれると思っていたのに。何でこんなに苦しいの。足は疲れてバンパンではないか。まだ槍の穂先は見えない。いったい、行き着けるのか?。もう山なんか登るのはヤメたっ。スイスなんか行くものか。こんなにも苦しい思いをしなくったって人生やっていけるぜ」と頭の後ろの方で誰かが囁く。
「いや、絶対登ったる!今こそマッターホルンへの絶好のトレーニングではないか。ゼーゼー・ハーハI言っているけどゆっくり登ればそれなりに足は出ているよ」と、もう一人の自分が囁く。頭は痛くない。身体もふらつかない。高度には順応しているようだ。
 しかし、朝3時30分に出発して以来もう既に12時間が経とうとしている。歩きづめ、緊張しづめだ。ブックサ考えながらも確実にルートを攻めていたらしい。身体を谷に落とさないよう用心深く大岩を回ったところ、ガーンと槍が岳の天を突く穂先が姿を現した。やった!。とうとうここまで辛抱して歩いてきた甲斐があつた。もう手の届くところに私たち四銃士の歩行の終結が待っている。
「アアー、長かったなあ−。槍の下までの登りが少し残っているが、最後の踏ん張りで頑張ろう。でも、足が仲々思うように進まないなぁ。」五〜六歩登っては一呼吸、又登っては一呼吸だ。時間が気になる先生は、「さあファイト!ここが、このルートの正念湯だ。ガンバッテ」と励まして下さる。「もういい。もう目先に目的地があるから、置いていって。絶対後からゆつくり登るから」と、喉元まで弱音が突いて出る。
 私の苦戦ぶりが見えたのか、すぐ後ろについている山岸のお兄さん「鈴木さん頑張れよ。ほらあと僅かだよ。もうここまで来たんだ。あとちょつと頑張ろう」と励ましの言葉。余裕あるなぁ、、、。しかし、有り難う。心に沁みる仲間の言葉ょ。六甲山系の保塁岩で練習したのと、そっくり同じようなチムニ−が立ちはだかつた。「オオツ」 私の眼が光った。今までの疲れはどこかに吹っ飛んだ。足を掛け、手がかりを探り、よじ登る。前と後とのロープの張り具合も重要だ。声を掛け合って、ジリジリと最終の登はん。左に曲がったところで上の方に人の顔が見えた。えつ、あんな所に人がいる。ひょつとして頂上?「そこつて、項上ですかぁ」「そうですよお」「本当に、、、本当に、、、頂上?。嘘言ってないでしょうねぇ」「本当ですよ。あと少し頑張って下さい!」
 それから数十歩。ついに私は槍が岳の祠の後ろから顔を出した。バンザーイ。頂上だ。そこに立っている若者5〜6人が、本当に北鎌尾根から登って来たの? と目を丸くしている。そして皆が拍手を送ってくれた。山岸さん・沢地さん・青池さん、チムニーのところで一緒になつたカメラマンの若者。やったね。お互いに。私は先生の懐に飛び込んで感謝の握手をした。
「先生、有り難ぅございました。分不相応の山行にも関わらず、ここまで連れて来ていただきました。自分で自分を褒めてやりたい気分です。」
山岸さん、めげそうな時に励ましの言葉を有り難う。
沢地さん、頂上に着いたら乾杯しようね、と希望を持たせてくれて有り難う。
青池さん、私の化粧品やテルモスを持ってくれて有り難ぅ。
それぞれに色々な場面で助けていただきました。先生のリードと仲間の気持ちがあったからこそ、ここまでたどり着けました。槍が岳は、先生の予定されていたタイムリミット(夕方の五時三十分ちょうど)で、明るい内に頂上を踏めました。安全山行。まずは目標達成。めでたい。
「登りたがり屋四銃士」は、汗にまみれて汚れていたけれど、喜びと幸せが身体にみなぎつていた。山頂で、万歳三唱。「皆さん、私が、ご褒実体憩をたびたび要求して、ごめんなさい」沢地氏日く、「いや、気にすることはありません。僕らには、よう言いきれん所、鈴木さんが言うてくれたんで、ずいぶん助かりました」とのこと、少しは役に立つたのかしら。苦しい山行だつただけに、振り返ってみれば、それを遂行できた喜びも又大きい。先生は「これで、ほんの少し自信が着いたでしょう」と、最後のまとめを言って下さったが、本当にその通りだ。
 人間の自信とは、金や名誉で買えるものではない。もうだめ!もうやれない!と思うその場から、さらに力を振り絞って生み出して立ち上がれた者だけが掴める答えだ。それは、余裕というか、人間の中に眠る可能性を信じる力なのだろう。貴重なる「自信」。かかとに大きなマメ。右足の爪先に大きなマメ。腕やスネの青アザも私の悪戦苦闘の勲章。この夏のビッグイベント燕岳−北鎌尾根−槍が岳への綻走は、やり応えのある山行であった。
 あとで聞けば、このコースは、最高の難度のルートであるそうな。知らなかった−。


荒島岳山スキー 三宅明子

  「降りるときはワカンでいいですよ」との角谷先生のお言葉。それならばと、スキーを一度も履いたことがないのに、無謀にもスキー登山に参加してしまいました。今回ごいっしょの松尾さん、和田さんはスキーの達人とのこと。
 初めて付けたスキーは重い・長い・滑る(当り前)で悪戦苦闘です。荒島岳(1523m)は日本海側だけに標高の割には大量の積雪ですが、スキーはワカンと違い雪にもぐらず、なるほど登りは比較的楽です。けれども方向転換のたびに、どうにもスキーやら足やらが思うように動かずひっくり返っては大騒ぎです。それでも、展望の開けたところからは白山が輝いて望め、苦労が吹き飛びました。
 午後になって先生が雪洞の適地を見つけ、皆で雪洞掘り開始。2時間ほどで大きく立派な今宵の“宿”が完成! ほぼ立って入れるくらい高さもあり、中に設えた小棚にローソクを灯せば雪山ムード満点です。中で4人がゆったり横になれました。
 夜半何かが遠くで崩れるような音でふと目を覚ましました。先生がすかさず「今音がしたね?見て来ます。」と言うなり、シュラフから飛び出して外へ出て行かれます。あ、これは危険と察知しなければならないのだな、先生はさすがだなと寝ぼけた頭で感心。先生はじきに戻ってこられ、付近には異常ないとのこと。皆が目を覚ましたのを機に、外へトイレに出ました。ヘッドランプの淡い光の中をしんしんと雪が舞い落ちており、すべてが雪に覆われた夜の山に吸い込まれるような雰囲気です。雪洞に戻るとほっと気が緩み、何だか荒島岳の懐に抱かれているような心地で朝までぐっすり暖かく眠れました。
 翌朝、雪の降りしきる中、頂上を目指して出発。深い雪の中を先頭を交代しつつ(私はずっと後続)がんばって登っていきます。けれども荒島岳はご機嫌斜めで、風雪は強くなる一方。結局頂上まであと少しのところで、引き返すことになりました。
 さて下り! 先生、松尾さん、和田さんが雪煙を上げ、樹間を縫って颯爽とスキーで下っていきます! カッコいいなあと見とれていますと、ワカンを履いた他のパーティーからも歓声が上がりました。私はしょうがないのでワカンでパフパフ懸命に後を追って下りました。
 スキーの下りは無理でしたが、初の雪洞体験は実に楽しくて、また一つ貴重な山の思い出が増えました。


蝶ヶ岳 森本朋子

 登山を初めて半年。もちろん冬山の経験などほとんどなく、初日から心配ばかりしてましたが、いざ歩き出してみると釜トンネルも氷結して危険なのは、ほんの数メートルだけ。雪も少なく徳沢までは楽勝でした。
 翌日の蝶が岳は、横尾から長塀山を越え徳沢に戻るという10時間のコース。これまた不安な気持ちで出発したものの、うれしいことにトレースがしっかり付いていてまるで春山のように歩きやすく、しかも見事な快晴!長い樹林帯を抜け、ようやく稜線に出たときの風の気持ちよさ!なにより目の前に現れた穂高連峰の眺めはそれはそれは雄大でほんと最高でした。が、問題は下り。ただでさえ苦手で大っ嫌いな急斜面を、ベテランぞろいのみなさんは走るくらいの速さでなんなく下りていくので、もうついていくのに必死!頭から何度雪に突っ込んだことか。そんな無様な私を尻目に、颯爽と足スキーで直滑降していかれる角谷先生…恨めしかったです。
 そしてとうとう最終日(徳本峠まで往復してから下山)、この日も言うことなしのお天気で、峠から見る穂高を心行くまで堪能するつもりが、ついに初心者のぼろが出て靴擦れになってしまい、帰り道では片足をひきずるどころかもうほとんどロボット歩き。一転してつらいつらい下山となりました。が、それでもあんなにきれいな穂高を見たら、そう簡単に山熱は冷めそうにありません。このぶんだと今年もますます山にはまりそうです。


3月の「甲斐駒ヶ岳」砂川 厚子

 冬山登山を夢みて、ビスタリ机上講座に通い始めたのは昨年10月。それから5か月。実践は12月のアイゼンワークから始まり、武奈ガ岳、蝶ガ岳、稲村ガ岳、八ヶ岳(赤岳・硫黄島)そして今回3月、初めての南アルプス、甲斐駒ヶ岳に行ってきました。
 角谷先生率いるのは三宅明子さんと私の2人。戸台から北沢峠へ。15kg程のリュック(先生と明子さんは20kg以上)を背負っての長い長い川原歩さも眼前に広がる鋸岳、双子山、、仙丈岳・・・甲斐駒ヶ岳が時間を忘れさせてくれました。八丁坂を経て、雪の樹林帯を抜け北沢峠から長衛小屋キャンプ場まで6時間。雪均し、テント設営。夕食は、しゃぶしゃぶ牛肉と野菜たっぷりの鍋を囲み、宴となる。材料を運んで下さったお2人に感謝します。
 さて、−日目は快晴、月夜にも星がキラキラ輝いている。けれど明日のお天気が気になる。夕方から雨の予報。二日目は4時起床。明けたところでいよいよ甲斐駒ヶ岳へ出発。仙水小屋から煙が立っている(営業中)。仙水峠より急登だが、思いのほか足が軽い。着地で踏ん張る時のしんどさは、交互に挙上するごとに回復しているらしい。これは頂上まで続き楽勝である。昨夏、北アルプスを縦走中「トレーニングが足りない」と叱咤されたのを思い出した。楽しく登山するにはそれだけの体力に余裕が必要なんだと。
 足に気をとられることもなく、樹林帯を抜けて行くと、抜ける度に景色が拡がってくる。鎖色に輝く仙丈岳、中央アルプス、鳳凰三山のオベリスクの後ろに大きな富士山が視界に。駒簿峰から六方石を経て頂上へは、アイゼンとロープが活躍。険しさに−歩一歩に気が張り詰めた。
 やがて頂上。穏やかに私達を迎えてくれた。白銀の峰々、その上空に雲の流れる変化が物語る。富士山にかかるレンヅ雲はいつの間にか2段にになり、白、黒、灰色の雲が青空を駆け抜けていく。いつまでも肯かである。自然のまっただ中に自分が入り込んでしまい一体となった。この時、私にはアイザックスターンが初めの一昔を奏でた瞬間涙した時と同じ熟いものが横切った。
 がっしりしたほこらと、標柱に「甲斐駒ヶ岳2967m 山梨県」とあった。信仰の人は東駒ヶ岳と呼ぶそうだ。明子さんはそれをバックにホームページ用にと、角谷先生の写真を振った。復路は同じコースを慎重に辿る。中高年には膝に堪える下山であったが、マイペースを守る。仙水小屋に着く頃、雪が風に吹かれて舞い降りてさた
 三日目。昨夜の風雪で20cm程の粉雪が積もっていた。天気は回復に向かい、登った山を背に、振り返り振り返りもとさた道を・・・・・
 登山って楽しいな。
 この後がまたいいのです。高遠町の「さくらの湯」で三日間の垢をおとし、酷使したからだをほぐし、高遠そば (ざるそばのつけ汁に辛味大根のおろし、焼さ味噌、わさぴ、ねぎを入れる)」でフィナーレとなり、伊那バスに乗車すると真っ白な南アルプスがいつまでもいつまでも見送ってくれました。
 雪の登山をめざして半年、おかげさまで夏山にない静寂と白銀の世界にはいり、心の洗濯がでさ気分爽快です。お友達の輪も拡がりました。そしてなにより、角谷先生の慎重できめ細かなリードでここまでこれました。溢れる感動をありがとうございました。感謝。


立山ひとめぐり 安喜英子

 やった!そごい!気持ちいい!最高!やっと剣岳の頂上にたどり着いた。
 8月6日 朝明るくなった室堂はほんとにいい気持ちで、山々がすべて見えます。なんだかグングンとせまってくる感じです。おいしい立山の水を飲み、角谷先生、北村さん、それに初対面の澤地さん、徳永さん、金井さん、そしてやっと会えた宮崎さんとさあ出発です。うきうき、ワクワク、ドキドキ?出発前は心の中が複雑です。室堂山荘の前を通り(去年の11月、雪の時に泊まったな、ごはん美味しかった)一の越から雄山(雄山神社は凄い人)大汝、真砂、と縦走して途中から雨になり、もやで何も見えなくなってしまったのですが、おかげてかわいい雷鳥に会うことができました。剣澤小屋に下る道には色々な花がいっぱい咲いていて特にチングルマの群落がとってもかわいくてきれいでした。高山植物の花って、なんでこんなにかわいくて綺麗なのかな?
 8月7日 いよいよ今日は剣岳です。4時起床、晴天です。ラッキー!4時30分出発。まだ薄暗い中で見る剣は、ちょっと不気味な感じがしてすこし恐いくらいです。もうチラチラと登っている明かりも見えて、私もあの頂上へ行くんだと気をひきしまります。
 一服剣で、前剣、剣岳を眺めながらの朝御飯で一服?なんともいいようのないくらい最高です。その間にも、ぞくぞくと頂上を目指してたくさんの方が登って行きます。いよいよカニのたてばい、なんとか行けそうだな。前の人達が登るのを見ながら20分ぐらい待って私達のグループは問題なく通過する事ができました。それからもやはり岩の殿堂、剣だけに気を抜かずに登り、8時50分ついに頂上に着きました。
 360度の大パノラマ、山、山、山そして富山湾、すべて見えます。こんな所にはるか昔登った人は、一体どうやって登ったのかしら?頂上からの眺めは変わらないのかな?いろんな事が思われます。頂上での楽しい時を過ごし下り出す。下りは登りより大変です。今度はカニの横ばいにきました。上からだとどうなっているのか、全く見えないので不安です。角谷先生のアドバイスを受けて足を下に降ろすと、ちゃんと置ける場所がありました。鎖もしっかりついているので、気を付ければ大丈夫です。でもこれが雨だったらとても登ることはできないだろうな........お天気に感謝です。
 13時20分に剣沢小屋に戻り、荷物を受け取り、今日の宿泊地、ロッジ立山連峰に向けて出発。雷鳥沢の下りは陽射しが強く、暑くて暑くて、早く涼しい所へ行きたいよ〜。16時30分にやっと着きました。足が痛い。今日はホントに長い一日でした。温泉に入り足もマッサージし、疲れをとって明日は奥大日岳を目指します。
 8月8日 4時30分出発。今日もものすごくいい天気です。昨日の疲れもまあまあとれて、でも足の親指の下が少し痛い。昨日登った剣岳を少し誇らしげに眺めながら、6時に山頂着。まだだれもいない頂上で充分に満足ました。
 バスターミナルで解散となり、時間があるので、澤地さん、金井さんと一緒に室堂山まで行くことにしました。ついでに浄土山までもと思い一人で登りははじめたのですが、なかなかの急登で、もうやめて帰ろうかなと思っているうちに、神社の所に来ていました。なんとそばのハイ松の所でまた雷鳥の親子が砂浴びをしている所に出会いました。立山は雷鳥が多いのかな?一の越から帰ろうと雄山の方を見ると、すごい人でまるで蟻の行列みたいでした。ここはほんとに人気があるのですね。
 今回は立山をグルリと一周した感じです。これも良いお天気だったからできました。いや〜山ってホントにいいですね!

(水野晴郎風に読んで下さい)みなさんありがとうございました。


大台ヶ原 堂倉谷本谷沢登り           澤地 實

1999年8月21日〜22日

冬場に沢登りの話は少々肌寒く感じるが、真夏の沢登りは清涼感に溢れ爽快である。今春ビスタリに入り、 これが3度目の沢登りだった。登山は通常少しでも濡れないよう気を使うが、沢登りはむしろ積極的に水の中に入って行く。発想の転換が必ととなる。21日は10時過ぎに大台ヶ原の駐車場に集合。 参加者は角谷さんを含め6人、 男女同数だが世の流れと同様女性の方が元気がよい。 宿泊地の粟谷小屋までは通常の大杉谷コースではなく、 北西側を迂回し、 安心橋、 大台辻を経て西谷橋まで歩く。 少々雨に降られたが大台ヶ原らしい植生に富んだ気持ちのいいコースだった。 西谷橋には粟谷小屋のトラックが置かれており、 角谷さんが運転して林道をひとっ走り。 荷台に乗った人達は、 荒れ道で深い谷底を覗きながら、 すでにスリル満点の嬌声で賑やかだった。 その日は小屋近くの沢場で軽く小手調べをした。小屋は我が一行6人の借り切りだった。 小生大の酒好きだが飲むといびきをかくので、 山小屋では絶対飲むなと嫁さんから厳命されている。 しかし借り切りだったら仲間内には多少迷惑をかけても美味い酒を持ってくるのだった、 と後悔したが後の祭り。
 翌22日は晴れ薄曇りで絶好の沢登り日和。 林道を1時間程歩き、 途中で渓流シューズに履き替えるなど身支度を整え堂倉谷本谷の中途から沢に下る。 最初は緩やかな流れの中を、 右手から二俣、 石楠花谷の流入を見ながら本谷を左手に進むが、 その先右手の岩陰から小さな流入があるところを皆は真っすぐ進んだ。 角谷さんはすぐ気づき、 地図と見比べ、右手の谷に入っていくことにする。 入り口は小さく崖崩れがあったりして見分けにくかったが、 それがやはり本谷だった。 入るにつれ滝が続き、 本格的な沢登りの様相を呈してくる。 しかし初心者でも要所でロープの安全確保さえして貰えれば、 何とかこなせるほどの難度と楽しさだった。途中10メートル程の滝を、 すぐ前の女性(安喜さん)が水の流れに近い難しい所を登り切り、 「澤地さんもっと難しい所を!」と挑発してくる。 小生調子に乗り、 滝間近の難所をずぶ濡れになりながら挑戦したが、 ある点までくると適当なホールドが無く、また岩も崩れやすく、 足場もいま一歩届かず、 何度挑戦してもあと一歩登り切れず、結局迂回した。 上で、 巧いですね、 と褒めると、 ちょっとずるしてロープにつかまって登った、 と言う。 なーんだ、 と一瞬損した気分になったが、 難所に挑戦したことは貴重な経験だった。ヒヤリとしたことは何回かあったが超難所は無く、楽しく登り続けるうちに沢も終わり、30分程で正木が原へ抜けた。 そこは大勢のハイカー達で溢れていた。
 帰途入之波(しおのは)温泉の茶褐色の湯で汗を流した。 残念ながら運転手には帰宅までビールはおあづけだった。

 

北岳バットレスにて 三宅憲次

 寒さで早く目がさめ、外に出るとよく晴れて登山日和である。今日は初の本番アルパインクライミングに挑戦である。でも初めから気が入りすぎ、少々緊張したのか、アプローチが長く感じられやっと取り付きに到着。「自己確保してください」と言われ「あっ」緊張で頭の中が真っ白になる。又指導を受け直し、まず5尾根支稜から取り付き、そのままdガリーを登り上部フランケへ。ここで一休み。下を見ると怖くないがよくここまで登って来たと思う。前を見ると鳳凰三山その他の山々がたいへんすばらしい。休憩も終わりさらに上部を目指す。シュバルツカンテを登攀中、他パーティの落石や、懸垂ロープがザックに落ちるは、もう大変でした。最後の1ピッチで、トップを登り感激。一人前の登山者になった気分。無事、登り終えて「やった」と思うと同時に「ほっと」する。遅い昼食を済ませ、歩き出した時、なんだか足が重い!
 いつもの登山より体力、精神を使ったと思いながらも、なんとか頂上に到着。先生と握手、感謝、感動しながらその日のうちに広河原に下山。

 

熱帯?の屋久島モッチョム岳 角谷道弘

 宮乃浦から縄文杉の縦走を終え、ほっとして国民宿舎に移動する。下山途中、種子島がきれいに見え満足して下山。国民宿舎前からは、岩のモッチョム岳がきれいに見える。タクシーの運転手さんが登山ルートを教えてくれたが、下からではとても道があるとは思えないほどの傾斜だ。岩のルートも3本ほどあるらしいので、次回ぜひ登ってみたいと思う。翌日ハイキング気分で千尋の滝を見た後、登り始める。いきなりの急登と異常な蒸し暑さ、そして道が薮だらけで登りづらい。まるでジャングルの中!おまけに所々むかるんでいる。普段は汗をかかない私も、このときは汗だくでまいりました。万代杉をすぎ稜線までたどりつきましたが、そこからは急な稜線の下り。木につかまり、苔むした岩と大木をぬって下り、最後に工事用ロープをつかんで、8mほどの大岩に登るとそこは、何もない山頂。残念ながら、何も見えない。こんなに苦労して、汗だく、靴はどろどろになったのに。しかし、山頂にはさわやかな風が吹き抜け、汗もすぐ乾いた。トンボの群舞う静かな山でした。次回はぜひ、山頂からの大パノラマを期待して下山。尾の間の温泉が最高でした。


雪彦山「地蔵岳」ロッククライミング     鈴木淑子

9月21日・22日と秋雨前線が紀伊半島に居座って、和歌山や奈良県南部は豪雨に見舞われた。私の住む兵庫県伊丹でもバケツの底をひっくり返したような大雨で、小中学校も臨時休校になっていた。翌日の23日には、雪彦山の岩登りの予定だが、この分では不可能かなと半分諦めていたが、まあしかし、角谷先生の判断を聞いてみなければ分からないと思い、電話してみる。
「やりますよ」
「エエッ、こんな大雨なのに岩肌は大丈夫なんですか?」
「大丈夫でしょう。低気圧は明日は抜けるようだし、岩は一番先に乾きますから」
ヘェーッそんなものか、と岩登り半年生の私は、まずは状況判断から入門したのであった。開けて23日、先生の予告どうり昨日までの雨はどこに行ってしまったのかと信じられない程のよいお天気。同行のパーティは女性ばかり6人とリーダーが3人。機嫌よく大阪を早朝に出発した。
 3年程前に山行で訪れた雪彦山は、岩あり滝ありで変化に富んだ面白い山だったと記憶している。当時の記憶をたどれば、確か山を歩いているとき、この山はロッククライミングのトレーニングの場所になっていると誰かが言っていたっけ。あのときは、歩くのに必死だったが、空から地面にデーンと座っている一枚岩の岩山を横目で見て、ワァー面白い光景だ、まるで中国の山水画のようだなぁと特徴のある山容を覚えていた。
 その時の私と、今この奇岩の下でてっぺんの松の木を見上げている私とが同じであるなんて、この数年間の山への挑戦はとうとう雪彦山の岩山まで私を誘ってくれたのかと、信じられない思いで過去を振り返っていた。
 感激に浸っている間もなく、すぐにハーネス装着の指示が出される。いよいよ岩に取り付くのかと一抹の不安と緊張を自覚する。
 今日で岩に張り付くのは4回目だが、一回毎にロッククライミングの面白さに取り付かれている。この岩山のてっぺんに立つことが出来るか出来ないのか、その可能性すらまだ自分自身では判断が付かないが、リーダーの指示どおり、とにかく少しづつでも岩をジリジリと上によじ登っていけば、必ず頂上に立たせて貰えることを信じて指先にも爪先にも神経を張り巡らせる。体の先っぽで探り当てたほんの少しの突起だが、体重をかけてしまうには心許ない。もう少し体を支えてくれそうな窪みを探してみる。支えているもう片方の指先は疲れてきて岩から離れそうだ。右足を少し引き上げてみよう。
 ウワァー落っこちそう・・・よいしょ。もう一つ手を伸ばそう。
 アーようやくどうにか体が保てそうだ。次はこの足をどこに置こうかしら、こっちかな、いやもうちょっと上、ウン、引っかかった。しかしこれじゃ爪先が上すぎるなあ、もう少し下の方で適当な突起はないかな、「ロープアップして下さーい」ぴーんとロープが張られた。それと同時に左手がうまいこと上部の窪みを探し当てた。ヨーシ!ぐぐっと体が持ち上がる。アーやっと難所をくぐり抜けた。
 どれ私用のヌンチャクを外してっと、外したヌンチャクを自分のカラビナに移し替えたとき、入れたはずのヌンチャクが手を離した途端にカランカランカランと音を立てて絶壁の上を踊るようにして谷に消えた。しまった!先生のヌンチャクなのに・・・・・と後悔しても既に遅し。
 私は先生の大切なヌンチャクをミスして落としてしまったことばかり後悔したのだが、この考えはハズレだった。

 今日の教訓。
 クライミングの道具は絶対落とすな。物は無くなっても又手に入るが、落とした道具は下から登る人への凶器に変わる。石も同じ。ちょっとした不注意が人の命をも奪ってしまうことになりかねない。自分ではやむを得ないと思っても、もしかしてその当事者になってしまったならば、なんと言い訳しても取り返しはつかない。一瞬の油断が大事故を引き起こす事だってあり得る。そうなったら後悔しても始まらない。という角谷先生の教えであった。私はロッククライミングを始めて、実に多くの事柄を学ぶ。ものすごく大変な縦走も、難しい山も何度も経験したが、このロッククライミングは、いわゆる山歩きスポーツとは大分異なる感覚を必要とする分野のものと思う。個人の能力と人との協調が同時に要求される大変厳しいスポーツだと思う。

 緊張、喜び、感謝、絆、等々強烈に感じる。私には縁のない山のスポーツと思っていたが、すばらしいリーダーに導かれて想像だにしていなかった岩に張り付いている私が居る。新しい分野の山の面白さをビスタリ倶楽部で楽しみながら、これからも大いに学んでいこうと思っている。最後に「先生ヌンチャク落としてごめんなさい」

八甲田山 山スキー 臼井 基
 今年2月、机上講習会最終日に、角谷先生から「スキーはしますか?」と声をかけられたのがそもそも山スキーを始めたきっかけです。
 その場で、ビスタリ倶楽部山行プランの山スキー三回に申し込みました。さて申し込みはしたもののスキーをしたのははるか昔の事、しかもゲレンデのみ、上手になる前に疎遠になったままでもあり、いささか早まったか、と後悔をしました。
 しかし、雪の山に行きたいとの思いは変わらず、されば、まずは練習をと箱舘山(とは少々安直すぎたか)へ、用具一式を新調し、次いでいざ泥縄式練習の成果を試さんものと、戸隠に向けて出発。道中大丈夫かな、まあどうにか滑れるだろうとの思い半々のうちに到着、案の定、ゲレンデとは勝手がちがい、先生からは「登りはまあまあ、」滑降はもっともっと練習を」とのコメントを頂戴する始末、散々な結果でありました。
 「こんな筈ではなかった、スキー板が長すぎた為だ」とスキー板の長さの所為にして短い板に替え、いよいよ待望の八甲田山へ喜び勇んででかけたり。
 まずは、八甲田ロープウエイで田茂萢岳山頂へ。さあ今度こそはと気負いつつ滑降開始、前回よりは多少ましかと一人頷く。ところが間もなく、少し斜面が急になり、思わず腰を落とした途端、くるりと尻は斜面の真下に向き、顔は斜面の真上を向いた。それからも同じ格好でおまけに仰向けにひっくり返るわ、時には180度近く回ってしまうわで「やっぱりダメか」と落胆しきり。ここで思い出した、「これは山用のカービングスキーですから回転し易いですよ」と店の人が言っていたことを。そうは気がついてもそこは未熟者のつらいところ、思うようにコントロールできず、立木と仲良くしたり、雪の感触を全身で確かめたりしているうちに膝の古傷が痛みだし、腕や足には打ち身、擦傷と今回も散々でした。
 しかし、初めての経験ではありましたが、山スキーの楽しさを満喫しました。初日から帰る日まで天候に恵まれたこと「八甲田でこれ程晴天続き稀」との由、また田茂萢岳頂上から、大岳頂上へのシール登行と頂上からの360度の眺望、各ルートの滑降、滑降後の酸ヶ湯温泉入浴、加えて八甲田山荘オーナーの歓待など。結論「いやー、山スキーって本当に楽しいですね、シーズン到来が待ち遠しい。」

追伸 その後、密かに練習しましたので「来シーズンは華麗な滑りをご披露申し上げます」とまでは言いかねますが、頭を斜面のしたに、仰向けに転ぶようなことはたぶんしないつもりです。

エベレストトレッキング体験記 山岸信夫
1998年11月20(金)〜28(土)
 今回のトレッキング参加の動機は一度はエベレストを見たい軽い気持ちと、年々体力が無くなることが心を動かしました。私は今度のトレッキングを通じて私の人生観を変える3つの大きな大きな収穫がありました。

 エベレストのイメージが変わった!
2人のシェルパの息子(自称)が出来た!
ネパール語を教えて貰っている内にチベットの人情に触れられた!
11/20 
 快晴JALのチャーター便に、乗ること9時間いよいよ高度を下げだすと遠か地平線に雲と間違える一筋の白線 誰かが「ヒマラヤだ!」と叫ぶ。機内は我々のパーティ130名の外他のツアーで満席の人が一瞬、右の窓に釘づけになる。こんなに同じ思いの人ばかりの飛行機も初めてだ。窓の下には絵はがきのようにどの山にも白い箱に小さな窓の家、モザイクのように並んでいる間を山の稜線にを何処までも続いてる道。よくあんな高い山で生活しているものだと見とれている。それにしても水はどうして確保しているのか?と思ってしまう。その内に「ドスーン」と滑走路に‥タラップを降りるとものすごく暑い。風邪を引いていて少し厚着をしていたので汗だくで空港内に入る。バスに乗るまで約1時間半、この国では時間はあって無いようなものでイライラしないで、気長に慣れることだと現地在住の方から教わる。空港を出ると前には、よくこんなに暇な人がいるものだと思う程、子供から中年の人まで大勢の人が観光客相手に「物ねだり」と荷物運びをねだる人で一杯だ。バスで空港を出ると沿道の両脇には形ばかりの果物を置いた親子・物乞う老人がづ一つと続いている。その中でホットしたのが両側に桜の並木が今満開ではないか!花が咲いているのに葉もないし幹も黒いので桜を連想出釆ない・ホテル到着の直前に見えた野菜のバザールの大きさ・賑わいには驚きました。これがネパールのエネルギーか?

11/22
 8時出発、今日はいよいよナムチェに向かう。現地リーダーの説明では今日は標高差800の高度差があり一番厳しい旅になるので出来るだけ不要な荷物はポーターに預けるようにとの説明、歩き方はビスタリーで周囲の景色を楽しみながら歩くように再度注意最初は一列に歩いていたがその内に長い列それも途切れてしまった。今日も最後部をサーダーと一緒に歩くことになる。サーダ(隊長)のPembaThandupSherpa(35才)テンドウ君は自分の所に寄って釆てカメラの事を聞てくれたのが彼との縁を作るキッカケだった。先生先生と立ててくれカメラの知識・道すがら何処がカメラアングルが良いか・など流暢な英語・片言混じりの日本語・ネパール話を混ぜながらトレッキングが終わるまで本当にお世話になった。彼のお陰で今回のトレッキングが生涯自分の胸に深く残る旅になりました。
 バクディーンを出発と同時に大きな吊り橋を渡るのですが丁度反対からゾッキヲを連れた一行に会いお陰で10数分待つ事になったがここの交通ルールはは動物使先だ。途中モンジョ2840mで昼食、一息入れ又めいめい歩き出す。想像していたよりノンビリだ。ジョサレでサガルマータ国立公園に入園許可を受ける。銃を持ったチベット兵3名が出てきたのにはピックリ。ドートコシ川を30分程きかのぼると又吊り橋。ここを渡るとドードコシとも別れ左に胸突き入丁の標高差600mの大きな山腹のつづら折りの急斜面を上がって行く。流石足が重くなっていると後ろから5〜6才の女の子を連れ、お母さんの背には藁のクーハンを横に背負って早足で登ってくる若いファミリーに追い越される。こんな急な登りにも子供も平地と同じ様な足どりで登って来るではないか!クーハンの中には10ケ月足らずと思われる女の子が心地よきそうに眠っている。思わず「ナマステー」の声を掛けると子供もお母さんもにっこり笑顔を見せ軽く会釈をしながら「ナマステー」が返ってくる。この澄み切った笑頻が今も忘れられない。 旅は一段と急な坂と崖、取りまくように何回か山腹を巻きながら歩いていくとサーダーが「エベレストが見る」と教えてくれる。指さす方を見ると大きな木立の聞から遠くに雪の山々の中にチョット高い黒の三角形が見えるではないか!思わず「やった−」の声が出た。3枚シャッターを切る。そこで15分休憩後、最後の大きな山をぐるりっと取り巻くように登り詰めると視界が急に開け正面に3〜4軒の家が見えてきた 3840mのナムチェー過酷な条件の申に山肌にへばりつくように寄り添って建っている家。こんな所にこんなに多くの人が住んでいるのが信じられない。到着15時30分。今日のテント泊は流石に寒くて日本から持ち込んだ衣類が初めて役に立つ。ここで7人の人が高山病で食事に参加されなかった。
 夕方 サーダー テンドウ君の家に招かれた。テンドウ君の子供をおぷった母さんに「チアー」をご馳走になりカメラの話しに時間が経つのを忘れた一時でした。

11/23
 朝7時半 出発 道の山側にある大きなチベット寺院の軒下に並んでいるたくさんの伽藍を回しながら丘の上のシヤンポジェの滑走路に向う。40分程度で丘の上に着く。上から下を見るとナムチェーの町は大きな擂り鉢の中にすっぽり入っているようだ。休憩の後20分ほどでヒマラヤホテルに。2楷の階段を上りテラスに出ると目の前に大きなスクリーンのような視界の中に地域の山嶺・クンブヒマル群の中の一番上に上部が黒褐色の三角のエベレストがヌップェを前に座らせ、ロウツェを横に従え、威風堂々のサガルマーターが鎮座している姿に思わず身震いがしばし止まらず、思わず「やった一」と両手を挙げた。
 エベレストはめったに人を寄せ付けない理由が理解由来る。頂上付近の南面に猛烈な風雪が見られる。急いで300mmの望遠レンズを取り付け無我夢中でシャッターを切りアッという間に36枚終わってしまった。終わってから写っているかが心配になったが後の祭りだ。でもこのシーンを撮るためにわぎわざ重い望遠レンズを持参してよかった。1時間半がアッという間に過ぎた。次のクムジュン村が待っているので名残惜しいがホテルとも別れ裏のシヤクナゲの丘を用心しながら降りていく(まだ下が凍っている)。正面にシェルパの神クンビラの岩山がそそり立っている。クムジュン村は大きな盆地の中に白い家が行儀良く並んでいる。900人程の人が住んでいるその大半の人がシェルパ業でエベレスト登山には欠かせない優秀なシェルパの村だ。町の中の水場はにヒラリーの石像の前で3〜4人の女の人が井戸端会議の真っ最中。後チベット寺院を拝観。その後、ヒラリーが建てたハイスクールの中を通りキャンプ地に戻る。テンドウ君もこの学校を卒業したそうで懐かしそうに学校の碗子をを話してくれた。

11/25
 帰りの飛行機は最後の組になり、朝から待って、15時近くの最終便にやっと間にあったが おおらかな国にしてはチベット兵士の厳しいチェックにチョット気分を害する。後で聞くと喫煙者の方が厳しくライター等をチェックしているようだ。我々が飛行機に乗ると直ぐ谷底に向かって駆け下りるとスウット身体が浮き、もうドードウコシ川を渡り向かいの大きな山の峰を過ぎていた。もうヒマラヤともお別れだ。今度来るのは何時の日か!

 今の感激が通過点となってヒマラヤヘの憧れが過ぎていく。今度はあのこ人の息子と(自称)BC迄進め。この日で間近のエベレストを見たい。どんな顔をするだろうか?

 人懐こいシェルパ!!一生懸命のシェルパ!!神秘的な一つ一つの山の顔・姿・威厳を持った山。これが自然だ・これが山だ!自然と一緒にひたむきに生きているチベットの人々!!

 今回のトレッキングでこれからの人生に大きな大きな贈り物を頂いた!生涯忘れられぬ旅になったの僕の人生観を変える大きな転機の機会を得た!大ヒマラヤに感謝!しながらカトマンズに向かう!!


by MICHIHIRO KADOYA

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