中国チベットリャンカンカンリ初登頂の記録


遠征隊名 日本リャンカンカンリ登山隊
遠征期間 1999年4月12日〜5月23日


メンバー
隊長     伊丹紹泰 明治学院大学山岳OB (伊丹会計事務所)
副隊長    中村 進 日本大学山岳OB   (山岳映像作家)
登攀隊長   山本 篤 明治大学山岳部OB
登攀リーダー 鈴木清彦 愛知学院大学山岳部OB(穂高スポーツ)
隊員     角谷道弘 信州大学山岳会OB  (角谷ガイド事務所)
隊員     小林尚礼 京都大学山岳部OB  (写真家修行中)
隊鼻     竹内洋岳 立正大学山岳部OB  (ICl石井スポーツ)
隊員     高橋和弘 明治大学山岳部OB  (千葉英和高等学校講師)
隊員     加藤慶信 明治大学山岳部OB  (明治大学学生)
医師     高橋純一 京都大学OB     (京都武田病院)
通訳     佐藤大輔 成蹊大学山岳部OB  (中国留学中)
〔中国側〕
連絡官    張江援 (中国登山協会 交流部部長)
副連絡官   成天亮 (西蔵登山協会)
コック    曽正勇


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行動概要
 4月18日、ジープ、マイクロバスに乗った隊員は隊荷を積んだ大型トラックと共にラサを出発。およそ10時間かけて海抜4500mの最奥の村、ヨジツォンツォに到着した。村からは馬を利用し、2.5トンの隊荷を2日がかりで4750mのBCへ輸送。21日にBCを建設した。
 BCで1日間の準備の後、23日から登山活動を開始し、25日にはClを設営した。ここまでは昨年秋の偵察の成果もあり、また連日の晴天に恵まれ順調に進む。C2へのルートは鈴木、角谷、高橋和弘らがセラック帯に11ピッチのフィックス工作を2日間で柊了。ただちに全員でC2への荷上げを開始した。セラック帯から先は予想外の大氷原で、ヒドンクレバスが多く全員タイトロプを結んでの行動となった。標高6000mに広がる大氷原は太陽光橡の福射が強く、隊員は舌が焼け、唇が荒れた。
 30日、C2を建設。翌5月1日、山本、竹内、中村でC3予定地までルートを延ばす。途中、大さなヒドンバスのスノーブリッジにフイツクスを張る。心配していた稜線直下の雪の斜面は以外と安定していて、すんなり複線に出た。しかし、C3を予定していた6920mピークの先のコルは黒く岩盤が奔出し、強風が吹さ抜けていた。結局、そこを諦め、ピーク手前の岩陰(6900m付近)をC3、アタックキャンプとした。5月22日2日、全隊員でC3への荷上げを行い頂上アタック体制が整った。
 一旦、休養に∝へ下った登山隊は頂上アタックを5月 9,10日の2回に分けて行うことに決定。第1次隊は鈴木をリーダーに角谷、竹内、高橋和弘、加藤の5名。2次隊はリーダー山本、中村、小林、高橋ドクター佐藤の5名。伊丹隊長はClで指揮をとることになった。
 5月9日、北京時間午前5時(自然時間では約3時)にC3を出発した1次隊は暗闇の中で未知のルートに手こずり、途中で夜が明けるのを待つも、午前11時15分、リャンカン・カンリの初登頂に成功する。しかし下山途中強い風雪に見舞われ、視界悪く一時ルートを見失うが全員無事C2に戻った。
 5月10日、2次隊は深夜に激しい強風の為テントが潰され、メインロープでテントを固定するなど殆ど睡眠がとれなかったが、夜が明けると快晴であった。アタックを決め、午前了時50分C3を出発。幸い、強風徐々に収まり、頂上直下の急な雪壁も状態よく、午後2時50分頂上に立った。あいにくガンカー・プンスムをはじめとする周辺の山々は雲に包まれ姿を見せることはなかった。だが、未踏の山頂に立つ隊員たちの顔は爽やかだった。記念写真を撮り、清らかな白い頂からご協力をいただいた全ての人たちへ感謝した。
 頂上からの下山は途中体がよろける程の激しい風雪に襲われたが全員無事C2に戻る。この日、1次隊の鈴木ら5人によりC3が撤収され、11日には全隊員でC2の撤収、及び全てのフィックスド・ロープを回収し、Clを経て一気にBCへ下った。
 5月15日、BCを撤収し、BC入りから26日間に渡った登山を終了した。尚、上部キャンプをはじめ全てのゴミは(使用したトイレの紙も含め)ラサに持ち帰って処理。末路峰リャンカン・カンリに残してさたものは11人の足跡だけとすることができた。

 


チベット リャンカンカンリ峰(7534m)初登頂 角谷道弘  
4月20日
 日本を出て8日、やっとBC(ベースキャンプ)到着。やっとと書いたが、道路のあるチベット側からのアプローチは便利なほうだ。ネパール側からなら倍以上時間がかかる。昨日は、慣れない馬に1日乗って、おしりと股が痛い!BCからは残念ながら目標の山「リャンカンカンリ」は、見えない。昨日は馬上から白い山頂を見せていた。中国名は良崗崗日である。後日、村の村長さんに聞いてみたが、意味はよくわからないとの事。
4月27日
 C1〜C2間のルート工作に行く。いよいよ前人未踏、の場所、誰も登っていいない所を行くのは、わくわくする。氷河の中のセラック(氷の塔)の中をぬうようにして行く。初めて行くときは、大きな迷路の中に迷い込んだような気がした。ただし、この迷路は、中にクレバスあり、いつ崩れるかわからない不気味さがあり、ゆっくりはしていられない。しかし、何十メートルもある氷の塔は、光が当たると美しい。気温があがると、あちこちから、ズシーン、バリバリと腹に響く音がして、心臓がきゅっとなる。氷河の一部が解けて崩れていく音なのだ。結局1日半ぐらいで、FIXロープを張り終え、あとは、ひたすら大氷原を2つ越えるまで登ると、待望のC2に到着。標高は6200m。東には、クーラカンリが美しい姿を見せている。明日からしばらく苦しい荷上げが続きそうだ。
5月4日
 アタック前の休養でBCに降りる。さすがBCは空気が濃く、良く眠れる。食事もおいしく、朝から夜まで、食べまくる。今日から3日間の休養だ。なにもしないのが、仕事である。こういう仕事は大得意なので、仲間と馬鹿話しを延々としたり、シャンプーしたり、そばや、パスタを作って食べたりと、3日間ごろごろして過ごす。このときちょうど、日本から応援トレッキング隊が到着。羊羹や魚の干し物、雑誌、新聞など、最高の差し入れを頂く。感謝。
アタック(岳人8月号の原稿より転記)
 5月9日。鈴木清彦登攀リーダー率いる第一次アタック隊5名は、真っ暗な中、最終キャンプ6900mのC3を出発。途中吹雪のため、天候待ちもあったが、頂上直下の雪壁越えると大きく視界が開けた。
 午前11:15、未踏峰リャンカンカンリ(7535m)に初登頂した。目の前には、いままで全く見えなかったガンガープンスム(7570m)が初めてその姿を表し、我々は、リャンカンカンリの頂上に立ったことを確認した。西側を見ると雄大な山容、天帝の峰、クーラカンリとほぼ肩を並べている。北側は、馬で入山したヨジ村からBCへ続く谷が見え、そのずっと向こうには、標高5100mの大きな湖、プマヨンツョ湖がきれいなブルーの水をたたえている。そして正面には、未踏の最高峰ガンカープンスムが非常に美しい白い姿を見せている。東側は急峻な壁が一気に氷河まで下っている。メンバー全員登頂し握手を終え、登頂の喜びが一段落すると、ガンカープンスムへのルートを冷静に観察してみた。
 今いるリャンカンカンリの山頂からガンガープンスムへは、アップダウンのあるナイフリッジの厳しい稜線が続き、最後は岩混じりの槍の穂先が、頂上にせり上がっている。当初の計画では、この稜線にルートを伸ばす予定だった。距離もあり、なによりナイフリッジの稜線の処理と、最後の頂上穂先まで不安定な氷雪が、厳しい行動を予想させる。7000m以上の高度での長時間行動とあわせ、楽には登れないなと感じた。ナムサン氷河を詰めて最後に一気に壁を登ってしまう方がいいかもしれない。しかし今回は許可の問題でこれ以上は登れない。残念なような、ほっとしたような、複雑な心境だった。高橋隊員が、高さの確認のため測量機器でガンカープンスムを覗くが、やはりガンカープンスムのほうが高かった。翌日、中村副隊長、山本登攀隊長ら5名の2次隊も、テントがつぶされるような、悪天候のC3の夜を乗り切って無事登頂した。
 今回の登山は4750mのBCから7535mの頂上まで、17日間の短期速攻登山であった。これは、山本篤登攀隊長の短期タクティクスが予定どうり実行された結果だ。順化・荷上げ段階で、だれも最終キャンプC3での宿泊を行わなかった。高所での滞在による疲労を最小限とし、順化のほうをある程度犠牲にしたタクティクスが、今回は見事に成功した。高所経験豊富なメンバー中心だったので可能な方法だったかもしれない。

日本リャンカンカンリ登山隊 角谷道弘

 

 

ラサ ポタラ宮殿


砂曼陀羅 ラサのお寺にて

 

by MICHIHIRO KADOYA


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