遠征隊名 日本リャンカンカンリ登山隊
遠征期間 1999年4月12日〜5月23日
チベット リャンカンカンリ峰(7534m)初登頂 角谷道弘
4月20日
日本を出て8日、やっとBC(ベースキャンプ)到着。やっとと書いたが、道路のあるチベット側からのアプローチは便利なほうだ。ネパール側からなら倍以上時間がかかる。昨日は、慣れない馬に1日乗って、おしりと股が痛い!BCからは残念ながら目標の山「リャンカンカンリ」は、見えない。昨日は馬上から白い山頂を見せていた。中国名は良崗崗日である。後日、村の村長さんに聞いてみたが、意味はよくわからないとの事。
4月27日
C1〜C2間のルート工作に行く。いよいよ前人未踏、の場所、誰も登っていいない所を行くのは、わくわくする。氷河の中のセラック(氷の塔)の中をぬうようにして行く。初めて行くときは、大きな迷路の中に迷い込んだような気がした。ただし、この迷路は、中にクレバスあり、いつ崩れるかわからない不気味さがあり、ゆっくりはしていられない。しかし、何十メートルもある氷の塔は、光が当たると美しい。気温があがると、あちこちから、ズシーン、バリバリと腹に響く音がして、心臓がきゅっとなる。氷河の一部が解けて崩れていく音なのだ。結局1日半ぐらいで、FIXロープを張り終え、あとは、ひたすら大氷原を2つ越えるまで登ると、待望のC2に到着。標高は6200m。東には、クーラカンリが美しい姿を見せている。明日からしばらく苦しい荷上げが続きそうだ。
5月4日
アタック前の休養でBCに降りる。さすがBCは空気が濃く、良く眠れる。食事もおいしく、朝から夜まで、食べまくる。今日から3日間の休養だ。なにもしないのが、仕事である。こういう仕事は大得意なので、仲間と馬鹿話しを延々としたり、シャンプーしたり、そばや、パスタを作って食べたりと、3日間ごろごろして過ごす。このときちょうど、日本から応援トレッキング隊が到着。羊羹や魚の干し物、雑誌、新聞など、最高の差し入れを頂く。感謝。
アタック(岳人8月号の原稿より転記)
5月9日。鈴木清彦登攀リーダー率いる第一次アタック隊5名は、真っ暗な中、最終キャンプ6900mのC3を出発。途中吹雪のため、天候待ちもあったが、頂上直下の雪壁越えると大きく視界が開けた。
午前11:15、未踏峰リャンカンカンリ(7535m)に初登頂した。目の前には、いままで全く見えなかったガンガープンスム(7570m)が初めてその姿を表し、我々は、リャンカンカンリの頂上に立ったことを確認した。西側を見ると雄大な山容、天帝の峰、クーラカンリとほぼ肩を並べている。北側は、馬で入山したヨジ村からBCへ続く谷が見え、そのずっと向こうには、標高5100mの大きな湖、プマヨンツョ湖がきれいなブルーの水をたたえている。そして正面には、未踏の最高峰ガンカープンスムが非常に美しい白い姿を見せている。東側は急峻な壁が一気に氷河まで下っている。メンバー全員登頂し握手を終え、登頂の喜びが一段落すると、ガンカープンスムへのルートを冷静に観察してみた。
今いるリャンカンカンリの山頂からガンガープンスムへは、アップダウンのあるナイフリッジの厳しい稜線が続き、最後は岩混じりの槍の穂先が、頂上にせり上がっている。当初の計画では、この稜線にルートを伸ばす予定だった。距離もあり、なによりナイフリッジの稜線の処理と、最後の頂上穂先まで不安定な氷雪が、厳しい行動を予想させる。7000m以上の高度での長時間行動とあわせ、楽には登れないなと感じた。ナムサン氷河を詰めて最後に一気に壁を登ってしまう方がいいかもしれない。しかし今回は許可の問題でこれ以上は登れない。残念なような、ほっとしたような、複雑な心境だった。高橋隊員が、高さの確認のため測量機器でガンカープンスムを覗くが、やはりガンカープンスムのほうが高かった。翌日、中村副隊長、山本登攀隊長ら5名の2次隊も、テントがつぶされるような、悪天候のC3の夜を乗り切って無事登頂した。
今回の登山は4750mのBCから7535mの頂上まで、17日間の短期速攻登山であった。これは、山本篤登攀隊長の短期タクティクスが予定どうり実行された結果だ。順化・荷上げ段階で、だれも最終キャンプC3での宿泊を行わなかった。高所での滞在による疲労を最小限とし、順化のほうをある程度犠牲にしたタクティクスが、今回は見事に成功した。高所経験豊富なメンバー中心だったので可能な方法だったかもしれない。
日本リャンカンカンリ登山隊 角谷道弘